赤旗の書評欄に
「中夏文明の誕生--持続する中国の源を探る」という本の書評が載っている。
著者はNHK「中国文明の謎」取材班、評者は早稲田大学の岡内教授という方である。
中夏というのは別に誤植ではない。おそらく著者が中華と夏をかけて創りだした言葉であろう。
評としては「宮廷儀礼、漢字、中華思想をキーワードに中華世界の展開をあとづけた肩のこらない歴史読み物」となる。
まぁそれなら、別に買って読む気にもならないのだが、夏の記述がちょっと気になった。
夏王朝は紀元前2070年に誕生し、全1600年に滅びたとされているのである。
理屈としては河南省の二里頭で発見された遺跡が、放射性炭素による年代測定で前2070年というのが根拠になっているようだ。
殷(商)の遺跡が前1200年前後とされているから、それよりずいぶん古い、ということで、これは夏の遺跡だということになったようだ。
もう少し丁寧に言うと、二里頭の遺跡の第三期という層に、宮殿を思わせる遺構が発見されたということのようだ。
そして前1600年の層より上には文明の痕跡は窺えないということのようだ。


ということで夏の始まりと終り、そして殷の始まりまでもが、この事実に規定されていくことになる。こういう決め方(断定)をしていくと、「夏商周断代工程」プロジェクトというのも索漠としたものになる。

例えば吉野ヶ里遺跡が発見されると、これぞ邪馬台国と決めてしまうようなものではないだろうか。
歴史家というのは論争するのが商売みたいな存在で、こんなことで合意ができてしまうのも不思議なのだが。中国ならではの事情だろうか。

邪馬台国をめぐって、未だに論争喧しい我が国を振り返ると、その違いが痛感させられる。