1993年 奈落の底へ

先の見えない経済危機

92年末に発表された貿易統計はすさまじいものでした。ロシアからの原油輸入は年間180万トンに減少.これは89年の実績1,300万トンのわずか13.5%にしか過ぎません.家畜用の飼料は160万トンから45万トンへ,肥料は130万トンから25万トンへ激減しました.ソ連・東欧など旧コメコン諸国との貿易額は89年実績に対し93%減少しました.キューバの貿易収入は45%も減少してしまいます.

緊縮政策はさらにきびしくなり、個人へのガソリン供給は原則的に停止されました.6月には、キューバ最大の発電所が,相次ぐ故障によりダウンしました。ハバナ市内の停電時間は8時間に延長されました。8時間といっても故障だらけの8時間ですから、実質的には止まっている時間のほうが長くなります。卵と砂糖の配給はほとんど停止状態となりました。主として輸送上の問題です.

キューバ産業の命綱である砂糖の生産は,大凶作となりました。前年度700万トンだったのが一気に420万トンへ激減します.中国向け輸出用の砂糖も不足し、それを補うため砂糖をタイから買い付ける事態にまで至りました.砂糖ばかりではありません。89年に比べ輸出総額は4割以下に落ち込み,輸入は厳しい引き締めのためもあり1/4にまで低下しました.

キューバから船に乗って逃げ出す人々の数は急増します。フロリダの沿岸警備隊は,92年度に収容したキューバ難民が2,565名にのぼったと発表しました.しかしこれはまだまだ序の口です。

5月には、3万人の視神経炎患者が発生したと発表されます。米国を中心に多くの眼科専門医と栄養学者が調査に参加した結果、いわゆるトリメであることが明らかになりました.ビタミン不足が原因です。(NEJMという医学雑誌では、もうひとつタバコの煙と書いてあったが、これは私としては信じにくい)

これは野菜不足が原因です。率直に言ってキューバ人は野菜が嫌いです。果物を食べていれば野菜など不要と考えているのかもしれません。ただ「有機栽培」を取り上げた方の文章によると、だいぶ変わっては来ているようですが。
ホテルの朝食はバイキングですが、野菜など見たことがありません。私も日本にいると野菜ぎらいな方ですが、それでも野菜が恋しくなります。レタスの上に肉や魚が乗っているのを見つけて、肉を取っ払ってレタスをかき集めたことを思い出します。

ドル自由化: カストロの決断

外貨の自由化に一番抵抗していたのは、おそらくカストロ自身ではないかと思われます。外国資本に国の経済の根幹を握られてしまったら、これまで築き上げてきた公正と平等の国は消失してしまうということを、これまでの経験を通じて痛感してきたからです。しかし、ことここに至ってはもはやとるべき道はひとつしかありません。

1993年6月、カストロは国会に向け重大提案を行います。外貨の個人所持の合法化、すなわちドルを持つものと持たざるものとの差別の容認です。もちろんドルを持っていた明けでは何もならないので、これまで外人専用だったドル・ショップへのキューバ人の出入りを黙認、ドルによるヤミ経済を事実上放任することが提案の真意です。

カストロは訴えます。「社会主義そのものを守るのではなく,革命の成果を守ることが重要だ.すべての種類の問題は,大いなる英知を持って現実的に検討しなければならない.我々は賢明でなければならない義務がある.決意や勇気や英雄主義だけでは革命は救われない.我々の心が痛むことがあっても,権威が痛むことがあっても,いろいろな事柄の解決を新たな方法で見出していくならば,英雄主義はより大きくなる」

いま考えてみると、やや大げさな表現のようにも聞こえますが、これを決断したとき、カストロの胸にはその後の「格差社会」の進行が思い浮かばれていたのでしょう。

7月26日の恒例の演説では、「賢明でなければならない義務」の中身を明らかにします。「外貨の所持と使用を解禁することによって、特権が生じることは否定できない。しかし、いまや我々の外貨を獲得する能力は、4年前の81億から17億ドルまで低下している。こうした現状にあってはやむを得ないことだ。我々は自由化一本槍ではない。この措置は我々が経済を現実的に建て直していくために避けて通れない課題だ」

これと決めたら早いのがカストロのカストロたるゆえんです。というよりも外堀はほとんど埋まっていて、カストロが最後の決断をしたということかもしれません。

このあと四つの経済関係閣僚ポストが総入れ替えとなりました.外国資本の投資は全面自由化されました.ドルの流入は事実上放任されました。全国に250の外貨ショップが開設され、そこでの買い物は見て見ぬ振りをすることになりました。

奈落の底を見た経験: 私が二回目にキューバを訪れたのは93年の11月のことです。どうしても話しておきたいことがいくつかあります。ひとつはヒネテラス(jineteras)のことです。メキシコからキューバに行く飛行機の座席は若い男性でいっぱいでした。感心に、キューバに連帯に行くのだと思ったら、彼らは買春ツァーの客だったのです。無論、彼らの行くホテルは私とは違います。しかし私の泊まるホテルでさえも、前庭には灯火に群がる蛾のように若い女の子が鈴なりでした。ほとんどが中学生から高校生といった年頃で、グループサウンズのファンかと思いました。しかしそれは売春婦=ヒネテラスの群れでした。その中から客が指名した子だけが中に入れます。相場は一泊50ドルだそうです。その後だいぶ上がったようですが。
翌朝、ホテルの売店で、疲れきった顔の彼女たちがオイルサーディンの缶詰を買い求める姿を見て、相棒と顔を見合わせたものでした。家に帰れば、彼女たちの父親の1ヶ月の稼ぎはわずか20ドルに過ぎません。これがドル自由化の実態です。

あいつぐ「自由化」政策

9月には輪タク,花売り,宝石修理など117種に及ぶ職種の個人営業を許可すると発表されました.これらは資本主義の芽となる危険があるとして1969年に廃止されていたものです。

さらに農地の7割を占める387の国営農場を2,500の協同組合に分割。独立採算とし,余剰生産物の売却権を与えるなど自主管理を広範に認めました。また家庭菜園で作られた農作物について自由販売が認められるようになりました.

あいついで実施されたドル解禁、個人営業の解禁、農産物の自由販売という三つの措置こそは、社会主義の基礎を掘り崩すものとして、これまでキューバ政府が最も忌み嫌い、避けてきたものです。

とくに平均所得と実勢価格の差が20倍にも開いた今、これを容認することは、たちまちにして社会の中に底知れぬ格差を生み、政権を瓦解させかねない危険をはらんでいます。

しかし背に腹はかえられません。まさに苦渋の決断、賭けに近い判断だったと思います。しかし結果としては、この賭けが見事に成功したことになります。

案の定、12月の国会では激しい議論が戦わされました。

政府は先にあげた三つの解禁策のほか、公共料金の値上げや,各種無料サービスの廃止を提案しました。これは過剰通貨の回収を図るための施策だと説明されました。金はあっても買うものがなく、通貨がたんすの中に退蔵されている。これを引き出そうという狙いです(退蔵しているお金があればの話ですが)。

しかし個人営業の容認は、強い反対があったことから延期されてしまいました.また公共料金値上げに関しては,国会議員だけで決めるべきではないという声が強く、この問題について全国で「労働者国会」と呼ばれる大衆集会を開き、そこでの討議にかけることとなりました.これも一種の延期です。