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1.Laurindo Almeida

ロリンド・アルメイダは基本的にはジャズの人であり、ウエストコースト・ジャズの一員である。しかしそのギター奏法はクラシックである。

ほとんどボサノヴァだというブラジリアンスが聞けるが、ほとんどヴィラ=ロボスで、ほとんどショーロだ。

アルメイダがMJQと共演したワン・ノート・サンバが聞ける。テレビの録画であるが、音質は悪くない。

MJQがサンバとかボサノヴァをまったく理解していないことが分かる。アルメイダはわかっているようだが、MJQに遠慮している。

次は、アメリカのギタリスト、チャーリー・バードとのデュオで、ピシンギーニャの "Naquele Tempo" (あの頃) 。ショーロの名曲を地味にしみじみと聴かせる。ショーロは白っぽい音楽で、黒人のサンバとFusion しながらブラジル音楽の屋台骨を形作っている。

これはビニール盤からイパネマの娘とカルナヴァルの朝をアップしたもの。この人はジャズ・サンバというよりジャズ・ショーロだろう。

いずれにしても、センス・テクニックもふくめ、過去の人だ。

 

2.Rapaz de Bem

オリジナルにどれくらい近いか分からないが、とにかく曲そのものはジョニー・アルフの歌で聞くことが出来る。ところどころにトム・ジョビン節が伺われるが、さほど印象に残るものではない。

意外な掘り出し物がドミンゲーニョスのアコーディオンとジンボ・トリオによる演奏。テレビのエアチェックで画質・音質ともひどいが、演奏はノリノリだ。前から思っているのだが、ジンボ・トリオというのは相当なものだ。

ナラ・レオンの歌は意外につまらない。演奏だけならワルター・サントスの歌がさっそうとしている。バックはワルター・ワンダレーで音も良い。

 

3.EU QUERO UM SAMBA

「ジョアン・ジルベルトのスタイルに似ているという」が、ジョアンが自分で歌ってしまってしまったら似ているもへったくれもない。

オリジナルを探したら、あった! オス・ナモラードスの歌で、まったくごきげんな曲だ。わるいけどジョアンの念仏節よりはるかに良い。

これはモロにサンバであって、ボサではない。上記2つの演奏を聴き比べると、ジョアンがサンバからボサノバをどう作り上げたかが分かるかもしれません。


4.PERDIDO DE AMOR

ルイス・ボンファの本人歌唱が聞ける。オリジナルの録音ではないので、当時の演奏スタイルはわからないが、おそらくこんなものだろう。「黒いオルフェ」を彷彿させる佳曲だ。

これはショーロではなくサンバ・カンサウンだ。サンバをゆったりと歌うスタイルを白人が受け入れたもので、当時の流行と同じ流れだと思う。ボサノバではない。

この曲をディック・ファーニーが歌うと、モロにボサノバだ。72年の録音というから、もう完全に“ボサノバ風ムード音楽”になっている。もともとボンファはディック・ファーニーの伴奏をしていた人なので、ピッタリと合うのだろう。

アメリカのマーケット狙いだろう。でも気持ち良い。

ついでながら、この音源をアップしたluiz alfredo motta fontana さんのチャンネルには上等のビニール盤音源がたくさんある。


5.Orfeu da Conceicao 黒いオルフェ

「リオ・デ・ジャネイロ交響曲」については音源を見つけることができなかった。

ということで、黒いオルフェになるのだが、我々は「黒いオルフェ」をボサノバの代表としてみるのだが、どうもなかなかそうはならないようだ。

ただ、そうやってらっきょうの皮むきをやって、ジョアン・ジルベルト以外はボサノバにあらずみたいな原理主義的決め付けをしていくと、きわめて干からびたものになってしまう。

リズムだとか、形式ではなく、ひとつの時代の一つのムーブメントとしてボサノバを捉えたほうが良いと思う。

それで黒いオルフェに戻るのだが、これは年表にもある通り、ヴィニシウスによる1956年の戯曲「オルフェウ・ダ・コンセイサゥン」を映画化したもので、マルセル・カミュ監督のフランス・ブラジル・イタリア合作映画である。2年後の59年に公開されている。

カエターノ・ヴェローゾは、「ブラジル人はあの映画は好きではなく、音楽はよくても映画自体は最悪だ」と酷評している(ウィキペディアによる)

それはともかく、映画化にあたって製作に関わったジャズ畑のジョビンが、サンバ・カンサウン系のルイス・ボンファに作曲を依頼した。そうして2つの超名曲が生まれたというわけだ。

お二人には悪いが、曲は真っ白だと思う。


6.CARICIA

年表の作者が組み込むからには、このアルバムもボサノバの源流の一つなのだろうか。

アルバムの中の一曲 Foi a Noite がオリジナルで聞ける。トム・ジョビンの作曲。基本的にはサンバ・カンサウン、アレンジはハリウッドっぽいジャズ・バラードである。こんな曲は白人しか書かないし、聞かないだろう。

彼女の1枚目の10インチLP「CARICIA」は、バレリーナ姿のジャケットが美しく、珍しいこともあって目から火が出そうな値段でした(大阪のk.m Web さん

下世話な話になるが、シルビアは一時、ジョアン・ジルベルトと出来ていたようだ。アストラッドの前である。30歳を前に交通事故で死んでしまった。

言えることは、モーロの歌い手の手を離れたサンバ・カンサウンが、ジョビンの手によって漂白されて磨きをかけられて、ほとんどジャズ・バラードの域にまで達していたということだ。


7.バチータ

当時、カルロス・リラとメネスカルはつるんでいたらしい。そこにリオに舞い戻ったジョアンが転がり込んできた。

そこでジョアンが編み出したバチータというギター奏法を披露し、二人はでんぐり返ったようだ。隕石が落ちてきて、なかから宇宙人が飛び出してきたような衝撃だ。(すみません。このバチータというのが、良くわかりません。どういうスペルなのかな?)

おそらく聖地ウェストコーストの味がしたのだろう。しかもサンバのリズムが隠し味になっている。

年表作者はジェリー・マリガンの影響だとしているが、マリガンてどんな人だろう。

ウィキペディアによると、1952年、カリフォルニアで、トランペットのチェット・ベイカーらとピアノレスカルテットを結成した。この動きがアメリカ西海岸におけるウエストコースト・ジャズの顕在化につながっていくことになる。

とある。

53年のマリガン・クァルテットの演奏がここで聞ける。後ろ1/3がマリガンのSoft Shoe という曲だ。いわゆる“ダンモ”の世界だから、私には良いも悪いも分からない。ここからジョアンがどのような啓示を受けたのかも分からない。


8.Chega de Saudade(エリゼッチ・カルドーゾ盤)

びっくりしたのはジョビンもビニシウスも同様だったと思う。早速レコード会社に売り込んで、制作されたのがこの曲。

最初は有名なサンバ歌手エリゼッチ・カルドーゾ、しかし出来栄えは思わしくなく、あらためてジョアン自身の歌唱で再吹き込みとなった。

これが最初のエリゼッチの吹き込み。Canção do amor demais (1958)というアルバムの一曲。ジョアンはギターを弾きながら、再三再四、ダメ出しをしたという。

ついでに

エリゼッチと言えばショーロ・ギタリスト、ジャコー・ド・バンドリンと組んだ「丘の上のあばら屋」が有名だが、私としては来日ライブ盤の「ジャコーを待ちながら」が忘れられない。

もうひとつついでに

YouTubeを探したらこんなゲテモノもありました。1972年に作ったアルバム「サンバ・ロック」というものです。その中のEu Bebo Simという曲が聞けます。

80年代に流行ったサンバ・ヘゲ(サンバ・レゲエ)と同じデンですが、さすがにぺけです。

これから分かることは、サンビスタたちはショーロであろうと、ジャズであろうと、ロックであろうと、レゲエであろうと、旺盛な食欲で食いついていきます。だからボサノバは、彼らにとってはサンバの一派にすぎないのです。


9.Chega de Saudade(ジョアン・ジルベルト盤)

おそらくオリジナル盤とおもわれる音源がアップされています。写真で見るとシングル盤のようです。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/8/7/8729f0c8.jpg

基本的にはつぶやきジョアン節ですが、後の録音ほどひとりよがりではなくナイーブな発声で、聴きやすいのが意外でした。

ギター1本で、伴奏は一切なし、実にシンプルです。歌だけでなくギターの方を聞かせたかったのでしょう。

ジョビンが演奏するジョアンの背中で、「どうだ、すげぇだろう」とほくそ笑んでいる姿が目に浮かびます。

ジョアン・ジルベルトは今や、“カミ”になっているようです。その割には情報が偏っていて、ほとんどが

Chega de Saudade, a História e as Histórias da Bossa Nova by Ruy Castro (Companhia das Letras, São Paulo, 1990).

という本の受け売りのようです。本の概要は下記で読むことができます。

Plain João The Man Who Invented Bossa Nova. Daniella Thompson

http://daniellathompson.com/Texts/Brazzil/Plain_Joao.htm

10.DANS MON ILE

黒いオルフェがヒットした後、フランスにもサンバブームが起きたのでしょうか。ちょうどその頃ヴィニシウスはフランス大使で、本業そっちのけでボサノヴァの普及に力を注いだようです。

これはアンリ・サルバドルがパリで録音した曲です。

Up主(スペイン系)は、「この曲はブラジル・ボサノヴァ音楽の先駆とみられる」と書いています。たしかに「男と女」の“ダバダバダ、ダバダバダ”を思わせるところがあります。


11.バーデン・パウエル

これでジョビン、ジ・モラエス、ジョアン・ジルベルト、ジョアン・ボスコ、シルビア・テリスにリラとメネスカルで駒はひと通り揃ったことになる。

あと大物で足りないのがバーデン・パウエルとセルジオ・メンデスだ。

バーデン・パウエルはエスコーラ・ジ・サンバのひとつマンゲイラ所属のサンバ・ギタリストとしてキャリアをスタートさせている。ボスコと違いあまり上品な階層出身ではない。

ビニシウスに引き立てられて「男と女」のサントラを担当した。その後は主流派とは少し離れた道を進み、アフロ・サンバの領域を開拓した。

ついでに、セルジオ・メンデス。アメリカ人かと思うほど、アメリカのマーケットに食い込んだ。かつて日本人はセルメンを通じてボサノヴァに触れた。

どっちかというと、走りだした列車に飛び乗って間に合った人で、何がしかボサノバの形成に貢献したというわけではない。しかしボサノヴァのエヴァンジェリスタとしての役割は巨大だ。


12.マルコス・ヴァーリとカルロス・リラ

走りだした列車に乗り遅れたのがマルコス・ヴァーリとカルロス・リラで、才能からすれば気の毒なくらいだ。

やはりボサノバの衰退は、軍事独裁政権を抜きには語れないだろう

二人にはボサノヴァの真髄とも言えるような曲があるが、時代には合わなかった。カエターノの絶叫ロック「プロイビード・プロイビール」が消えたあと、国内にはざらついた相互不信と、秘密警察への恐怖以外に何も残らなかった。

ボサノヴァは白人中産階級の音楽であった。白人中産階級の価値観が分裂し、共通の文化が失われた瞬間、ボサノヴァはバケツの底が抜けるように一気に消滅したと考えられる。