ボサ・ノヴァ年表

「私達はブラジル音楽を、ボサノヴァより前とそれより後とに区切ることができる」ナラ・レオン

 

53年 Rapaz de Bem(心優しい青年)が発表される。アントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・ジ・モラエス作詞、ジョニー・アルフが歌った。 (ジョビンとモラエスは中村八大と永六輔みたいな関係と考えられる)

53年 「ブラジリアンス第一集」が録音される。ブラジル人ギタリストのローリンド・アルメイダがウエスト・コーストのサックス奏者、バド・シャンクと演奏。うち3曲はほとんどボサノヴァだという。

53年 EU QUERO UM SAMBA が発表される。ジョアン・ドナートのアコーディオンとオス・ナモラードスの演奏。ジョアン・ジルベルトのスタイルに似ているという。

53年 PERDIDO DE AMOR が発表される。ルイス・ボンファの作曲。

53年 サンパウロを中心に、労働者のゼネストとデモが盛り上がる。労働者に同調的な政府に対し、軍が介入の動き。

54年 リオ交響曲が発表される。トム・ジョビンとビリー・ブランコの共作で、ディック・ファーニー、エリゼッチ・カルドーゾらが演奏。

54年 軍に追い込まれたバルガス大統領がピストル自殺。リオの葬儀デモに50万人が参加。

56年 ジョビンとヴィニシウスが共同作業を開始する。Orfeu da Conceicao の上演がリオで開始される。ギタリストとしてルイス・ボンファが選ばれた。

57年 シルビア・テリスが最初のアルバムCARICIA を発表。

57年 ジョアン・ジルベルトが放浪の末リオに舞い戻る。彼の編み出したバチーダ奏法とシンコペーションは、リオの音楽家たちから注目を集める。(ジョアン・ジルベルトの歌い方はジェリー・マリガンに影響されたものだとされる)

58年 Chega de Saudade(想いあふれて)が発表される。ジョビン作曲、ヴィニシウス作詞、ジョアン・ジルベルトのギター伴奏でエリゼッチ・カルドーゾが歌う。

58年7.10 Chega de Saudade(想いあふれて)が再録音される。ジョアン・ジルベルト歌・ギターによる。ジョビンの熱心な売り込みにより実現したといわれる。

58年 「ボサノバの夕べ」と題されたショウが開かれる。ボサノバの最初の使用例とされる。

58年 DANS MON ILE がパリで録音される。ギタリスト/歌手アンリ・サルバドルの演奏。

59年 大学でのコンサート、全国音楽祭などでジョアン・ジルベルトとジョビンらの演奏が爆発的な人気を呼ぶ

59年 ジョアン・ジルベルトの最初のアルバムが発表される。Desafinado(調子っぱずれ)、BIM BOMはニュウトン・メンドンサが作詞し、ジョビンが作曲。初めて歌詞中に「ボサノヴァ」の単語が取り入れられた。

59年 ブラジル・フランス合作映画「黒いオルフェ」(マルセル・カミュ監督)が発表される。ジョビンとモライスが企画した劇を元にしており、二人の曲が多く用いられた。

59年 リオで「現代サンバ・フェスティバル」が開かれる。出演はTom Jobim, Sylvia Telles, Alaide Costa, Carlos Lyra, Ronaldo Boscoli, Baden Powell, Roberto Menescal, Nara Leao ら

60年 ブラジルの首都がリオからブラジリアに移転。この年の経済成長率は8%を超えるが、外資導入が高度のインフレ(40%)を招く.

61年 モラエスとバーデン・パウエル、映画「男と女」のサウンドトラックの製作などで共同。

61年 ギタリストのチャーリー・バードが、ケネディの親善使節としてブラジルツアー。ボサノバを体験し、スタン・ゲッツとともにジャズ-サンバのアルバムを製作する。

61年9月 進歩派のグラールが大統領に就任。アメリカの干渉が強まる。

62年11月 カーネギー・ホールでボサノヴァのコンサートが行われ、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、セルジオ・メンデス、ミルトン・バナナ、ルイス・ボンファ、ロベルト・メネスカルらが出演。(メネスカルがバルキーニョを歌っているが、カーネギーに出演した歌手のなかでもっとも下手くそな歌手としてギネスに残るだろう)

62年 アメリカで仕事をしていた、ロリンド・アルメイダとジョアン・ドナートが、アメリカ・レーベルからボサノバで売りだす。

63年 『ゲッツ/ジルベルト』が制作され、アメリカで大ヒットする。ジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルトが制作に参加。

63年 キャノンボール・アダレイやポール・ウィンターらが、ボサノヴァのアルバムを発表。アメリカでボサノヴァ・ブームが起こる。

63年 トム・ジョビンがニューヨークでアルバムを制作。GAROTA DE IPANEMA, AGUA DE BEBER などをふくむ。

63年 マルコス・バリーの最初の曲SONHA DE MARIA が発表される。演奏はタンバ・トリオ。ジョルジ・ベンのマシュケナダも発表される。

64年4月 ブラジルでクーデターが発生。軍事政権が樹立される。一週間で「民主主義の敵」とみなされる約9千人が逮捕.

64年 ヴィニシウス、「アルコール中毒」のためブラジル外務省を解雇される。実際は左翼的傾向が嫌われたとされる。

64年 アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った「イパネマの娘」がシングルカットされ、ビルボードに96週間チャートインという記録を打ち立てる。

64年 ビートルズがアメリカ公演。世界中を熱狂させる。ボサノバ終焉の年とされている。

64年 ナラ・レオンが最初のアルバムを発表。国内で最初にヒットしたボサノバのレコードとなる。

64年 サルバドールでカエターノ・ヴェローソ、ジルベルト・ジル、マリア・べターニャによるコンサートが大成功をおさめる。

65年 日曜午後のテレビのショウ番組「青年前衛」が始まる。ロベルト・カルロスらが登場。

66年 Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)がアメリカ市場に登場する。アメリカに移住したセルジオ・メンデスがブラジル66を結成し制作したもの。

66年 サマー・サンバ (Samba do Verão)が発表される。マルコス・ヴァーリ作曲、ワルター・ワンダレイの演奏。

66年 ボサノバの人気が徐々に低落。トロピカリア が台頭する。

66年 ヴィニシウスとバーデン・パウエルがノルジスチの黒人の民謡を元に"OS AFRO-SAMBAS"を制作。

66年9月 軍警察がリオ大学医学部に乱入し学生を殺害。全国軍事独裁反対のデモに18万の学生の半数が参加。

67年 Funeral de um lavrador(農夫の弔い)が発表される。オリジナルはシコ・ブアルキの曲をチリのフォルクローレ・グループが演奏したもの。

67年 ジョビン、アメリカでインストゥルメンタル・アルバム「Wave」を発表。“ボサノバを基調としたフュージョン”のジャンルに進む。

68年 カエターノ、サンパウロのカトリック大学で行われた国際歌謡フェスティヴァルで、「禁止することを禁止する」を歌い、当局に睨まれる

68.6 学生運動が急進化、10万人の反政府デモ。各地で校舎の占拠行動が続く。一部学生が国会に突入。

68年12月 軍首脳タカ派が自主クーデターを実施.軍政令5号を布告して国会を閉鎖.市民の大弾圧に乗り出す。カエターノ・ヴェローソ、ジルベルト・ジルらが一時拘禁される。

69年 エリス・レジーナ、「ブラジルはゴリラに支配されている」と発言。軍部の弾圧の対象となる。

69年 ジョアン、ブラジルを去り、メキシコに移住。

70年 ヴィニシウス、マリア・クレウーザ、トッキーニョがブエノスで公開録音したアルバム。

74年 エリス・レジーナとジョビンの共演で「3月の水」をふくむ Elis & Tom が発表される。その後エリス・レジーナはコカイン中毒となり死亡。

80年 ヴィニシウス・ヂ・モライスの死。

90年 ボサノバのリバイバル。Joyce, Eliane Elias, Celso Fonseca, Marisa Monte, Raphael Rabello, Rosa Passos, Leila Pinheiro, Ana Caram, Jane Duboc, Emilio Santiago,Paulo Bellinati, Luciano Souza, Yamandu Costa, Ithamara Koorax, らが登場。

94年 ジョビン、ニューヨークで心臓発作のため死亡。大統領令が発され、国民は3日間の喪に服した。

BossaNovaVideo より

home.earthlink.net/~williamdee/id13.html