かつて近畿・東海から中国地方にかけて「銅鐸人」と呼ばれる集団が住み、銅鐸文化を形成していた。
①彼らの宗教的シンボルは「銅鐸」であり、これは後ほど侵入する天孫信仰とは異なるものであった。しかし銅鐸そのものは九州北部から伝播したものが起源となっている。
②銅鐸人集団は九州北部の政治・軍事センターに従属しつつ、紀元前200年頃から相対的に自立した生産社会を営み、独自の文化を持つ社会を形成した。その過程で独特の銅鐸が生み出された。
③銅鐸文化は山陰に始まり瀬戸内、四国、近畿、東海へと波及していった。そして紀元100年から200年にかけて近畿を中心にピークを迎えた。稲作が一部導入されつつも、依然として採集生活の色彩を強く残していた。
④出雲の銅鐸人諸集団は紀元前後に、近畿・東海の集団は紀元200年前後に、天孫信仰を持つ人々により制圧された。銅鐸信仰は異端として禁止され、人々は天孫信仰への帰依を迫られた。
⑤銅鐸は銅鐸人により埋葬・廃棄された。その後、銅鐸信仰そのものも廃れ、人々の記憶から消し去られた。