「低価格競争は体を蝕む」という記事で、海外での低価格競争が賃金デフレの原因であったとし、「海外支店の営業マンはそれなりに頑張ったという自負を持っているのだろうが、それが結局日本の体力を弱めたのではないか」と書いた。

奥田碩会長以来、三代の経団連会長は海外志向が強い人物が続いている。
奥田氏はトヨタ自動車販売の経理部から豪亜部長に転出し、社長になる前は北米事業準備室副室長であった。
御手洗冨士夫氏は、まさに営業の鬼であった。23年にわたるアメリカ勤務のあいだに平社員からキヤノンUSA社長に上り詰め、本社に戻ってからは、強引な手法で1兆円近い債務を解消させた。やったことは徹底的なリストラとアウトソーシングである。
その功績が認められて経団連会長にまで進んだが、成り上がり者の悲しさで、労働コストの削減を国家的に進めるべきだと思い詰めてしまった。それを竹中平蔵のようなヨイショが持ち上げて、それが国策にまでなってしまった。

後の世からは、1997年以降の15年間は“狂気の時代”として記憶されるかもしれない。国際競争力が叫ばれながら、国際競争力の源となるものづくり技術は徹底して軽視された。バブル後の経営危機のなかで営業畑が技術畑を圧倒したのである。オリンパス然り、キャノン然り、ソニー然りだ。

海外経験が豊かな国際感覚に結びつくというのなら、それはそれで良いのだが、海外で身につけたのはシェア争いをめぐる“仁義無き戦い”の論理だったのではないか。
外国に行けば国際感覚が身につくというわけではない。例えば海兵隊というのは“海外活動”のための軍隊だ。しかしそこで身につくのは“殺さなければ殺される”という「野獣の論理」でしかない。すべての価値観は「生か死か」というレベルにまで単純化される。海兵隊員は戦場から教養を身につけて帰ってくるのではなく、「狂気」や心の病を負って帰ってくるのである。