サヴァリッシュが死んだという話だ。
写真を見ただけでも「良い人だ」という感じは分かる。しかし音楽的にはパとしない人だったと思う。
芸術家って、もっと自己中でアコギな人でないと務まらないのではないだろうか。
楽譜から、そのエスプリをざっくりと切り出して、血の滴るようなリアルさで供覧するというのが、指揮者の仕事なんだろうと思う。
そこを最初から妥協してしまってんじゃぁ話にならない。衛生無害、森永のウエハースみたいなものに食欲はわかない。
N響との相思相愛ぶりが話題になるが、N響はこういうさらさらお茶漬け系が好みだ。
テレビの出始めの頃、N響の演奏会は岩城と外山という二人の若手指揮者が振っていた。その後森正や若杉という人が振っていた。その合間にサバリッシュが出ていた。当時はザバリッシュだったと思う。

岩城を除けばサラサラ系ばかりだ。脱臭装置を通過した屁みたいなものだ。演奏そのものはまったく記憶に残っていない。「ええゾォ!」というのはコンスタンチン・シルベストリくらいだ。

結構これで、オーケストラというものに対するイメージが刷り込まれたと思う。だから大きくなってからコテコテ系やネットリ系に慣れるのに時間がかかった気がする。

ショルティがロンドン交響楽団と静岡に来て、アンコールでブラームスのハンガリー舞曲第5番を演奏した時の興奮は忘れられない。トロンボーン3本で会場を押さえつけた。

コンサートというのはもっと肉体的なもので、エクスタシーなんだと初めて分かった。

それにしても、日本の音楽評論家というのは不思議な人たちで、フルトヴェングラーをもてはやしながらサヴァリッシュを褒め称える、この神経がよくわからない。