それなりにボサノバにはまりつつある。
ボサノバの立ち位置はすごく揺らぐんですね。
基本的にはカルロス・リラの立っているところが真ん中なんだろうけど、彼はものすごいジャズ・コンプレックスなんですね。だからボサノバがブラジル的なものに行こうとすると感覚的にはすごく反発する。「それはボサノバではない」という感じでしょうね。
一方で、マルコス・バリーはジャズというよりアメリカンポップスに行こうとする。これはまったく白人のその辺の人の音楽なんです。
ふたりとも「ブラジル的なもの」が何なのか分からずに、とにかくアメリカ的なテイストを求めて曲を作っていく。
それを周りがムジカ・ノヴァだと囃し立てるから、もうやっている本人がわからなくなってくる。

これはレゲエと似ています。本人たちはまじめにロックやっていると思っているのに、周りはこのひなびた“ロック”に味がある、と注目したのです。沖縄の島唄が何故か変にブームになってしたったところと似ています。

このへんの響きあいは、コールマン・ホーキンスのジサフィナードが最高です。逆に彼らに教えられる形でカルロス・リラがボサノバのスタイルを作り上げていくことになります。