加賀さんの本の中に“いじめ論”に関する物がありました。
一言でいえば
いじめは決してなくならない。いじめに負けない心の力を上げていくべき

というものです。
以下はその一部

いじめ絡みの悲劇が起こるたび、どうすればいじめをなくすことができるかという議論がしきりになされます。教師や親も子どもたちに注意する。しかし残念ながらいじめというのは人間性の本質に根ざしたものであり、決してなくならないものなのです。
何時の時代にも,どこの国に行ってもいじめはある。大人の世界にもいじめはあります。だから、いじめを悪として上から抑えこもうとしても、より陰湿さを増すだけで、何の解決にもなりません。


この加賀さんの見解は絶対に間違っています。陸軍幼年学校というスパルタ式のご本尊みたいなところを潜り抜けて来た人だけに、解釈としてはリアルで、とても良くわかります。けど、人間の態度としては、断固、「いじめを許してはいけない!」のです。これは「処世術」以前の「原則」の問題です。

いじめを無くすというのは、いじめが横行する世の中をなくすということであり、いじめっこが大手を振って歩くような社会をなくすことです。

論理をこうやってすり替えると、同じ手口で、体罰も強姦も殺人も戦争も核兵器も許される論理に繋がってしまいます。俗にいう「業の論理」です。

大津問題での委員会答申を見る、といじめを無くすための基本路線がかなり整理されて提示されています。

緊急性から言うと、①ハザード対策、②カウンセリング、③道徳・情操教育、④周辺環境の整備といったところでしょうか。そして何よりも教育にあたる者たちの民主主義が求められています。

ここから先は私見になりますが、いじめを無くすのは、基本としては「いじめをする子をなくす」ことです。それは教育そのものです。
もちろんその前に、差し迫る危険にたいする緊急対策としていくつかあり、さらにいじめを受けた側が自殺衝動に至らないようにするための「強靭化」対策がいくつかあります。

しかし核心はあくまでも、いじめをしないことの大事さを教えこむことです。なぜなら加賀さんが言う通り、誰でもいじめをする素質を持って生まれてくるのですから。

ここで大人が毅然とした構えを取らないと、他のすべての対策も及び腰になってしまいます。「悪いものは悪い」と態度で示すのが根本でしょう。