ネットで漏れ伝わるところでは、
生え抜き派が主義・主張を貫こうとしたのに対して、経営現場が我が身大事と反旗を翻したところにあるようだ。
どちらが正しいかというのは難しい。

具体的・個別的には問題ははっきりしている。生え抜き派のかかげる「主義・主張」が間違っているからだ。「目的のためには手段を選ばず」で、やり口も相当やばい。とくにマスコミ関係が危ないだろう。

そこで徳田理事長と生え抜き派が突っ張る限り、勝ち目はない。
しかし歌を忘れたカナリアになった徳洲会に、今後なにか特別な存在意義があるのだろうか。ここは現場派にとってかなり重い課題だ。

太古の昔より、医療経営というのは医師確保と同義である。
事務長の最大の仕事は、大学病院の医局もうでをして、医師派遣をお願いすることだった。

院長の最大の仕事はバリバリ学会発表をして、病院の名声を上げることだった。

待遇で釣るか、研修の魅力で売るか、このへんが腕の見せ所である。

こういう状況に対して最初に反乱したのが民医連だった。出来上がった医者ではなくて医学生の中に飛び込み、医療の本質に関わって彼らの良心を呼び起こし、奮い立たせ、組織していったのである。

同時に医学生たちも自らを学生運動に組織し、主体的に生きる道を選択していった。この歯車が噛み合ったからこそ、民医連は大躍進を遂げたのである。

だがそれはイバラの道であり、世間に「アカ」と指弾され、孤立を余儀なくされる道でもあった。だから民医連の医師は集団として行動せざるを得なかったし、一人ひとりが主体として状況に関わらざるを得なかったのである。

これに対し徳田虎雄氏は「この指とまれ」方式を生み出した。擬似民医連的な路線を謳いつつ、医師に加入にあたっての決意を必要としないような巧妙な作戦をとったのである。

「キミらは良い医療をしてくれさえすればよい。あとは私に任せておきたまえ」ということだ。

当時私は率直にいって見込み違いをしていた。このような怪しげな路線がそんなにうまくいくわけ無いと思っていた。しかし今や徳洲会は全国各地に多くの病院を建て、それぞれ評判は悪くない。

かくいう私も、母を徳州会で看取ってもらった。

「言っていることと、やっていることは大違い」というのは徳洲会を批判するのによく使われる言葉だが、「言いもしないし、やりもしない」のよりははるかにいい、と思う。

問題はその矛盾がついに来るべき所まで来てしまったということだろう。

もし徳洲会が再生を試みるのであれば、まずは誤った社会変革の理論を再検討して、「本当に患者の立場にたった医療を実現するためにはどうしたら良いのだろう」ということを、ゼロベースで見直すことが必要だろう。

それと同時に重要なことは、残された医師たちが当面する困難に対して主体的かつ集団的に立ち向かっていく構えを形成することだろう。

もう一つ、これはちょっと生臭い話になるが、徳田一族から経営本体を取り上げることだ。そして全面的な集団所有に切り替えることだ。

出来れば徳田氏本人が生きているうちにやってしまえば、簡単なのだが…

もっとも、これが出来れば、徳洲会ではなく民医連になってしまう。