徳田毅って徳田虎雄の息子だったんだ
するってぇと、だいぶ風向きが変わってくる。
ちょっとネットを調べたら、徳洲会そのものが潰れるか潰れないかの大騒動になっていいて、
そこから魑魅魍魎が飛び出してきていて、
今回の問題も、そういうとばっちりの一つらしい。
そうなると、迂闊にどうこう言える話ではない。
女性議員が“超党派”で徳田を詰めているようだが、これも背景を見ておかないと、そんなに素直にうなずける話でも無さそうだ。

どっちにしてもいい機会だ。
徳州会を総括することは民医連を総括することにもなる。

一言でいえば、徳洲会は「ニセ民医連」だ。共産党でなくても、共産党の趣旨は実現できるというのが売りである。
学生時代、「全共闘」なるものがあった。共産党より左だというのが売り物だった。メットを被って角材をもって火炎瓶を投げれば革命的だと信じていた。
つまり共産党に入らなくても左翼のフリが出来るというのが「全共闘」とか「新左翼」とかの売りだった。
学生時代に一生懸命に説得しても共産党に入らなかった奴が、急に「左翼」になって「共産党は右翼だ」と攻撃し始めた。

さすがに徳洲会に行った連中はそこまでのぼせ上がらなかったが、メディアは彼らを医療変革の担い手として誉めそやした。その一方で、同じことを民医連がやれば、「票目当て」だとか「医療を活動資金集めのために利用している」とか言って攻撃したものである。

つまり共産党が強くて、民医連が強くて、これに対して反動の攻撃も強くて、という時代の象徴として徳洲会の存立基盤はあったのである。その徳州会が弱体化し、内部で混乱が起きたということは、共産党の力が弱まったことの反映でもある。

民医連の力が十分に弱まればもう徳洲会は必要ない、だから遠慮なしにやっつけられる状況になった。それが今回の「強姦事件」ではないのだろうか。

一つの時代の終わりの象徴でもある。

徳洲会がもっとうまく立ち回ろうとするなら、「自由連合」などという政治団体に固執せずに、創価学会のように露骨に自民党に擦り寄るべきだったのだろう。