あまりこの話は絡みたい気がしないのだが、NHKニュースに出た以下のクダリは記憶しておいてよのではないか。

第三者委員会の委員を務めた、教育評論家で法政大学教授の尾木直樹氏の談。

「どの教師もいじめを見過ごそうと思っていないし、親も気付きたいと思っているの に、なぜいじめを発見しにくいのか。
これまで科学的な解明や丁寧な分析が無かった。
今回の報告書では、いじめがなぜ発見できず、どうして友人関係の中で不幸な事件が起きてしまうのかが解き明かされている と思う。
報告書が、本当に子どもを救うことができる施策を打ち出すためのきっかけになることを願っています」

ということで、報告書は12の問題点を指摘している
その中で目につくものをあげておくと、
①いじめ認知の遅れ クライテリア(診断基準)の不統一
②教員間の「情報共有化」の遅れ 全体化プロセスの欠如
③教員間の日常的な意思疎通の不足 プラットフォーム(場)の欠如
④学級帰属意識の喪失傾向 学級の広場化とグループの優位化
⑤いじめ防止教育の限界 “いじめ”イメージの極大化という副作用
⑥マンモス校、教員の多忙化など周辺問題


これらの指摘から感じることを幾つか挙げておく。

①いじめは学校の抱えるいくつもの問題の中の一つであり、学校の抱える問題を解決していく道筋と共通している。それだけを切り離して解決することはできない。

②いじめはそれ自体がひとつの日常なのであり、常に存在するのであり、「いじめを無くす」ことは不可能である。担当クラスにいじめがあっても、それ自体は深刻でも恥ずべきことでもない。気軽く、腰軽く取り組まれるべきだ。

③“いじめ行動”の中に、具体的なかたちで危険な傾向を察知することが必要である。そのための簡単明瞭な診断基準がもとめられる。

④子供は本能的で残酷なものであり、自制心と思いやりの心は育てられるものである。いじめは「無くす」べきものではなく、「止めさせる」べきものである。

⑤いじめを止めさせることは、子供を大人にすることである。それは「対応」ではなく、それ自体が教育の中核となる実践である。

⑥情操教育が教育実践の中核的な一つであるとすれば、いじめを止めさせる、いじめをさせない実践は、教師集団の日常的・集団的実践として取り組まれなければならない。

⑦集団的実践の要となるのが職員会議である。それは上位下達の会議ではなく、職能集団の知恵を出し合う会議として位置づけなければならない。学び合い、励まし合いながら、教員の自発性を引き出すよう、民主的運営に心がけなければならない。

⑧学級形成が抜本的解決の鍵であるのはいうまでもない。しかしこの課題はますます困難な課題となっている。子供は兄弟や地域の中で社会的訓練を積むこと無く入学してくるからだ。根本的にはマンモス校の解消や、少人数学級の実現以外にない。