生活保護の基準切り下げに関する議論で、しばしば出てくるのが「自助・共助・公助」と言う言葉である。自助と公助はともかくとして、「共助」というのがわからない。

切り下げ派の論理としては、「公助の前に共助があるでしょう」ということになるようなのだが、その割に共助の内容がクリアーでない。

もし共助というのが家族のことを指すのであれば、これはもう時代遅れだ。事の良し悪しは別として、もはやそれは不可能になっているし、ますます不可能になっていくだろう。

情勢はそう甘いものじゃない、切り捨て派にはその覚悟が不足しているようだ。ピラミッド型人口構成は過去のものであり、それを根拠とする家族の支えあいはもはや幻想だ。

確かに自助も共助も大切だ。しかしこれからの共助のあり方について一定のモデルを持ち、育成する方針を作り、必要な財政措置をとらないと、これらの言葉は無責任な空語になる。