人間が死んで、最終的に残るのがご位牌とお骨だ。
スピリチュアル系の人はご位牌が大事だが、ものに執着する人はお骨が気になる。
考えてみれば遺体を焼いた瞬間に、魂は煙となって、風になって流れていくのだから、お骨などどうでもよいのだ。人間の中のカルシウム成分にすぎない。遺体を焼くというのがそもそもそういうことなのだ。まるごと残したいのなら焼いてはいけない。物理・化学的には同じ事なのだが、気持ちの問題としてはそういうことだ。

本当は焼き場の人がそのまま処分してくれればよいのだが、御大層に壷に入れて返してくれる。しかたがないから引き取るが、これが始末におえない。一番クリアカットなのは、燃えないゴミの日に黄色い袋に入れて出してしまえば済む。しかしさすがにこれは忍びない。

一番いやなのは、そこにつけこんでお寺や葬儀屋や有象無象が刺さり込んでくることだ。とにかく国民的マニュアルを作らなければならない。我々の下の世代はカネがない。連中には絶対迷惑をかけてはいけない。死ぬのが不始末というわけではないが、死んで下の世代に迷惑かけるのは不始末だ。

くたばりかけたジジババがいろいろ言っても、聞いてやろう。あんた方もそれなりに苦労してきたんだから。だがそれを下の世代に押し付けてはならない。俺達の死を理由にして、下の世代が寺や葬儀屋や墓地会社にふんだくられるようなことがあってはならないのだ。そんなことでGDPを上げる必要はない。

まず、お骨を本人の形見と考える風潮をやめることが必要だ。私なら一番の形見はこのブログだ。このブログを入れたハードディスクを位牌代わりにしてほしい。そこにアルバムの写真もすべて突っ込んでくれれば、そこに私の生きた証はほぼすべてアップロードできる。
永代供養が数百万円だというが、それだけの金をサーバーの会社に入れておけば、数百年は私のページは消えないで残るだろう。

いま私の脇に500ギガのハードディスクがUSB接続されている。色といい形といいご位牌にピッタリだ。消されるのが嫌ならブルーレイに焼き付けておけばいい。

所詮、人間の一生なんてせいぜい100ギガの世界だ。