「朝鮮半島南部は日本人の揺籃地帯であり、それが最終的に北方人に押し出されるかたちで九州に渡ってきたのではないだろうか」と書いた。

時代で言えば箕子朝鮮の開かれたBC1000年から、衛氏朝鮮の開かれたBC200年、およそ800年間の時代に相当する。
「朝鮮王朝の支配域は平壌を中心とする範囲であった。それより南、現在の韓国は“真番”と呼ばれ、周にまつろわぬ民の住むところであった」と書いたが、その内容はほとんど分からない。

漢王朝が朝鮮を直接支配するようになって、“韓”は三韓として歴史に登場し、かなりの情報が得られる。とりあえずは、これらの情報からさかのぼって推理していく他ないようである。


BC1046年 周が殷を滅ぼす。このとき周の武王が殷の重臣の箕子が朝鮮侯に封じられたとされる。朝鮮半島に関する最古の記述。韓国側は檀君朝鮮がこれに先行していたと主張する。

朝鮮朝の南は真番と呼ばれた。後の4郡の内、真番郡は京幾道・忠清道あたりを指すと思われ、それより南については触れられていない。

BC214 朝鮮王「否」が秦に服属を誓う。

BC194 燕人「衛満」が朝鮮王朝を簒奪。衛満は燕王盧綰の部将だったが逃れ、朝鮮王朝の傭兵となっていた。

BC194 朝鮮王「箕準」、数千人を率いて逃亡し、馬韓を攻めて韓王となる。(後人の創作との説あり)

BC191 漢朝、衛満を遼東太守の外臣に任じ、東方からの異民族の侵入に備える。

BC108 漢の武帝、討伐軍を派遣し衛氏朝鮮を解体。楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の四郡を置く。現在の慶尚道と全羅道南部は“韓”として管轄外に置かれる。

BC82 真番・臨屯が廃止され楽浪郡に編入される。玄菟郡もその後段階的に縮小され、事実上楽浪郡のみとなる。

BC45 「楽浪郡初元四年県別戸口簿」によると、楽浪郡25県の戸数は4万3251戸、人口は28万0361人であった。