これまでの分子生物学的解析法の変遷を年表形式にまとめてみて、一定の傾向が分かってきた。
まず、この世界がきわめて日本的な世界だということである。方法論的な妥当性がほとんど吟味されずに垂れ流されている。相互批判がないから、一方では学会の大御所が幅を利かせ、他方では一匹狼的な研究者が大衆の受けを狙う。
何かしら外国で新たな技術が開発されると、それを使って「画期的な大発見」が生み出される。
今回のゲノム研究に基づく研究の発表も、その王道を踏み外すものではない。

研究者が前のめりになって、風呂敷を広げたくなる気持ちは大いに分かる。ただし推計学の許容する範囲を超えた場合は、それをしっかり批判するジャッジが必要だろうが、この学会では大御所自らがが風呂敷を広げるのに忙しいようで、余り期待はできそうもない。


…にもかかわらず、全体の認識とコンセンサスは一歩一歩踏み固められつつあるのだろう。
Y染色体の研究が、アジア全体の動向を見るのに役立つ。つまり縄文人をふくむ旧北方系が東アジア全体を覆っていたところに、ネオ北方人が進出してきて旧北方系はその周辺に押しやられたということだ。(ただ血液型のA型はこの枠にはまらない。ネオ北方人にA型は少ないにもかかわらず、A型が多いのは縄文ではなく弥生人なのである)

したがって、旧北方系はアッサム、シッキム、ブータンから環状に雲南まで来て、華南、台湾でいったん切れる。そして琉球、アイヌとつながって行くのだ。(琉球人が北海道から来たと考える必要はない。かつて旧北方系が暮らしていた本土あるいは台湾から移住し、その後故郷がネオ北方系に奪われたとすれば、矛盾はない)
ネオ北方人がいつ中原を征服したかは分からないが、もし台湾で、それより古層から旧北方人の存在が証明できれば、このミッシングリングは完成する。



とにかく縄文人のサンプルは希少なのだから、速やかに解析可能なすべてのゲノムを解析し、データを公的に開放すべきであろう。一部の人間がデータを小出しにして、メディア相手に商売するのは困る。

第二に、推計学的には現日本人のサンプル数が十分に大きければ、縄文人の数が少なくても精度は増すはずである。
コスト的にはゲノム解析とは行かないだろうが、mtDNAとY染色体のデータ収集でもいいんではないだろうか。ただし無作為抽出であることが不可欠だ。

日本人が混血であることはよいとして、ハーフ・アンド・ハーフというのは驚きだ。どうすればそうなるのか、社会融合のあり方を推理しなければならない。