日本人起源をめぐる分子人類学研究史

1962年 古畑種基、血液型A遺伝子の分布頻度が南西部に高く、東北に進むほど段階的に低下することを明らかにする。(ただし古畑には捏造癖あり)

日本は東アジアの中でA遺伝子の出現率が突出して高いことが知られている。他にA遺伝子が高率を占めるのは西欧諸国である。

1963年 マーギット・ナス、ミトコンドリアが核本来のDNAとことなるDNAを持っていることを発見。mtDNAと名づける。

1967年 アラン・ウイルソンら、「人類進化のための免疫学的時間尺」を提唱。ヒトとチンパンジーの分岐を400万年前から500万年前と推定した。

1970年 沖縄の具志頭村港川で、旧石器時代人(18,000年前)の骨格化石4体分が発見される。

1978年 小山修三ら、日本地図の上に32×32kmのメッシュを置いて、縄文の時代ごとの遺跡数を集計し、地域別人口の推移を推計。縄文時代は、列島の人口の90%以上が東日本に分布していたことを明らかにする。

1980年 日沼頼夫ら、成人T細胞白血病(ATL)ウィルスのキャリアの分布を調査。九州で7.8%に達するのに対し、他地域では1%以下に留まること。中国・朝鮮では存在しないと発表。さらに琉球人では34%、アイヌ人では45%に達することも明らかになる。

1981年 分子人類学の分野でmtDNAに注目が集まる。

mtDNAの特徴: ①1細胞中に数千個あり、化石となっても残りやすい。②塩基置換は通常のDNAと比べると5~10倍早いとされ、個体間差が出やすい。③母方のみを継承するので朔及が容易。④核DNAの20万分の1で無駄な記述がないとされる。

1985年 松本秀雄、Gm遺伝子(血液型の一種を決定する遺伝子)による解析を行ない、日本人・アイヌ・琉球人の共通性を指摘。縄文人・弥生人のいずれもが北方系に属することを明らかにする。(バイカル湖云々はどうでも良いことで、南方系ではないという一点が重要である)

1986年 スバンテ・ベーボらアメリカ先住民ミイラの脳組織からミトコンドリアDNAの抽出に成功。その一部(Dループ)について塩基配列を解析する。

1987年 アラン・ウイルソンら、すべての現代人は15万年前から20万年前にアフリカにいた一人の女性を子孫とするミトコンドリア・イブ説を発表。

父系の系統をたどるためには、Y染色体の分析、或いは核DNAそのものを分析する必要がある。南米コロンビア人においては、ミトコンドリアDNAは、ほぼ全てがモンゴロイド系だが、Y染色体はほぼ全てがヨーロッパ系に特徴的なタイプであった。

1992年 茨城県取手市の中妻貝塚から約100 体の縄文人骨が掘り出される。

1994年 ハーバード大学のMaryellen Ruvolo、すべての人類の生物学的構成は近似していていることを、遺伝子解析を通じて立証する。これにより「人類は民族や人種で進化の度合いが異なる」という「多地域進化説」を粉砕。

1995年 徳永勝士、「HLA遺伝子群から見た日本人のなりたち」を発表。HLAがきわめて多様なため、読み取りに主観性が入る危険が高いことから、注目されずに終わる。

2000年 イングマン、世界のいくつかの人種についてミトコンドリアDNAの全文字解析を志向。人類展開の系統樹を提唱する。

2003年 ゲノム・プロジェクトが完成。人類の全遺伝子情報が解読され公開された。

2006年 HammerらがY染色体のゲノム解析により、mtDNAとほぼ同様の結果を得る。

日本においてもmtDNAとY染色体の頻度に差がないことから、渡来人による先住民の征服という可能性は否定された。かなり長期にわたり、棲み分けをしながら共存したと考えられる。