「弥生革命」という勇ましい表現があった。
たしかに生産様式の革命的変更があったことは間違いない。しかしそれが日本民族を形成する人種の変更を伴ったのか、もっと率直に言えば半島からの渡来人がそれを担ったのか、半島からの渡来人=弥生人と考えてよいのかという問題である。
これは日本人の形成過程における南方要素の全面否定を意味する。これまでの文化人類学者の諸説は根底から崩れることになる。また埴原の縄文人=南方系説も瓦解する。もっとも埴原説は二重構造が証明できればよいのであって、縄文人が北方系であっても、それ自体は決定的な問題ではない。

以下に紹介するのは2010年2月20日の公開シンポジウム「日本人起源論を検証する」の一部抄録である。


弥生時代の幕開け-渡来系弥生人はどうひろまったのか?
中橋孝博・飯塚 勝

 日本人の形成には弥生時代に大陸から渡来した人々が大きな役割を果たした。北部九州はその最初の入植地と見なされる。しかしそれは謎の空白期となっている。
 弥生開始期の遺跡では、縄文伝統による生活用具が大半を占める。おそらく少数の渡来人が水稲稲作文化をもって入植したのだろう。
 ところが、数百年後の弥生中期頃になると、住人の殆どが渡来人集団に占められている。縄文人が新文化を受け入れて弥生社会を形成したとは考えられない。
 当地で起きた弥生革命は、土着集団による先進文化の受容現象というよりは、渡来人が自身の人口を増やしながら実現していったものと考えられる。
 弥生革命の最初の発火点となった北部九州の変革のあり方は、列島各地に波及して行ったと思われる。