1978年、小山修三らは日本地図の上に32×32kmのメッシュを置いて、縄文の時代ごとの遺跡数を集計した。
小山は、オーストラリア先住民の人口変動についての研究を行った実績があり、このときの経験から作り出した独自の推計法を元に地域別人口の推移を推計した。この結果、縄文時代は、列島の人口の90%以上が東日本に分布していたことが明らかになった。

まあ、これ自体は難しい数式を用いなくても、日本地図の上に縄文遺跡をドットしていけばわかる話である。私が感心したのは小山の時代を見る目である。時あたかも列島改造華やかなりし時分、全国いたるところで地面が掘り返されていた。とすれば、全国どこでも遺跡の発見率に差はないだろうという前提が成立しうる。

例えて言えば、縄文遺跡は圧倒的に東日本に多いが、それは東日本において特別に開発が進んだということはなく、掘れる所は片っ端から掘るというイーブンな状況が存在し、それが研究者のあいだでコンセンサスになっていたのである。

もう一つ感心したのは、遺跡を時系列に沿って配列し、縄文時代の盛衰をプロットしたということである。これにより東日本の優位がベタなものではなく、何かしら必然があってそうなったことが示され、結果として東日本優位説を補強していることである。

誰にでも分かる事実から出発し理論を構築しているだけに、この理論は重みがある。いくらDNAやゲノムに基づく精緻な理論が提出されても、小山のセオリーの核心は揺るがない。すなわち典型的縄文人は北方から侵入してきたという事実である。

そして「弥生人による縄文人の征服・支配・排除・混交」などのすべての議論は小山の議論とガチンコ勝負になるのだが、そこを説明するのは小山の側の義務ではない。

「渡来人=弥生人」派の人たちはこの点についての説明義務を果たす必要がある。さもなくば「渡来人=弥生人」説の安易な導入は控えるべきである。