以前、安本美典さんの「神武東征」を読んですっかり信者になってしまった。
安本さんの説は、天皇の在位が長すぎるということに尽きる。在位期間がはっきりしている後世の天皇と比べると数倍の長さだ。これを常識的な長さに縮めると、神武天皇の即位は西暦300年前後だ。たしかに神武東征を西暦300年頃とすると、分かる話が多い。

神武以来の経過を記した日本書紀は、現代につながる文書として残されている。史書として扱おうという人たちもたくさん居る。それに対して邪馬台国は卑弥呼はあえて言えば、存在したという事実さえ分かればそれで良いとさえいえる。

それが、「日本書紀は800年サバを読んでいる」ということで学問的合意が成立すると、ある程度史書として読めるようになり、大助かりだ。
とにかく邪馬台国が西暦300年頃には崩壊していたようだ。神武の一族が邪馬台国の政権中枢とどういう関係にあったかは知らないが、とにかく邪馬台国の勢力範囲内に居たことは間違いない。そこから海路東にくだり、迂余曲折の末、大和盆地に根拠地を構えた。

それから数代を経て、神功皇后が登場する。そしていわゆる三韓征伐を行う。ここが再び日本が世界史に登場する時期となる。この三韓征伐が朝鮮側の資料で確認できれば、時間の空白は埋まり、大和王朝の全国支配が確定されることになる。

神功皇后の治世は69年にわたっており、これは明らかに嘘だろう。
ただ日本書紀は『百済記』と照合しており、これは西暦と照応している。ただ干支なので120年ごとに同じ日付が繰り返される。それによると三韓征伐の文献的事実は明らかに存在し、一番古いもので西暦上は246年または366年となっている。
しかし246年であれば、卑弥呼の記事との整合性は難しい。したがって366年と読むのが妥当だろう。

こうなると、安本さんの言うごとく、九州の邪馬台国がいったん滅亡し、その系統を継ぐ可能性のある神武一族が長駆近畿に攻め入り、大和王朝を創設した。そして50年ほど後に九州をも平定し全国政権となり、さらに新羅へも攻め込むという時間的経過になるのではないだろうか。

神功皇后は卑弥呼と同じくシャーマンの色彩が濃厚であり、仲哀天皇に対してクーデターを起こしたのは武内宿禰であっただろう。天皇家はもともと九州に土地勘があり、熊襲進攻を主張したのに対し、もともと新羅系の出自と思われる神功皇后は新羅への進攻を主張し対立したのではないだろうか。

三韓征伐の後、神功皇后らは、地元が不穏になったのを聞き、大和に戻っている。この後『百済記』では382年にも再度新羅進攻があったことが確認されている。

と、分かったようなことを書いたが、ウィキペディアによると、新羅は有史以来日本の侵略を受けっぱなしで、台風のように日本軍(といっても海賊みたいなものだろうが)がやってきては首都を攻められているようだ。これではどれが神功皇后の関連か分からない。