昨日たまたま、寝しなにテレビのスイッチを入れて、思わず映画に引きずりこまれた。
「有がたうさん」という不思議な映画で、山田洋次のお勧めということでテレビにかかったらしい。
途中からなので、まったくそういう背景は分からなかったが、とにかく絵がなつかしくて見始めた。これは間違いなく戦前だなと思った。
どことなく見覚えのある風景で、でもこれは古すぎる。自分の子供のころには、どこかにガラス窓やトタン屋根やベニヤ板があったり、大きなお屋敷は塀囲いで瓦葺だったりしていたと思う。
もう一つの違和感は、なにか豊かなのである。羊羹を乗り合わせた客に振舞うなどありえない話だ。バスがずいぶん豪勢だ。自分の頃は「田舎のバスはオンボロ車」という歌のとおり、ひどいものだった。木炭自動車も記憶にある。盛大に煙が上がり始めると、運転手さんが自動車の前にクランク型の金具を差し込んでぐるんぐるんと回すとエンジンがかかるという仕掛けだ。
その辺の理由は話が進んでいくにつれ分かってきた。このバスは乗り合いバスではあるが峠越えの長距離バスなのである。だからバスも外車なのである。現地の人も乗るには乗るが、それは本家の旦那さんと奥さんであり、使用人や女子供ではない。

いまの人にはわかりにくいかもしれないが、マイカーが普及する前は路線バスも長距離バスだった。私の家の近くを走る路線バスにも御前崎行きというのがあった。そういう長距離だからこそ、バスに乗ったのである。10キロまでの距離なら歩くか自転車に乗るのが常識だった。だからこの映画でも、乗客が平気でバスを降りて歩き始めるのである。

鉄道もそうだった。東京に行くのに東海道線に乗るのだが、これは各駅停車だった。袖師も根府川もしっかり停まった。だから東海道線の駅の名前は全部言えたのである。

そういうわけで、路傍の人にとってはかなり非日常的な世界だが、まったく異次元というわけでもない、という「よそゆき」の関係がバスの中と外にはある。

そういうことが時間の経過とともに徐々に分かってきた。

この運転手は良い人だ。快活で朗らかでやさしい。ただ、現実に対して物分りが良すぎる。辛い現実や不正義に対しても、それを認識しつつ「そういうこともありだな」となってしまう。チョゴリを着た女性労働者にも、惜しみなくやさしさを与えるが、結局は他所の社会である。

彼のやさしさがわかるから、そのもどかしさが徐々に募ってくる。そして最後にそのもどかしさが一挙に解決されるのだが、このあたりは映画屋さんの腕なのであろう。

すこしネットでこの映画の背景を調べてみた。原作は川端康成。「伊豆の踊子」が天城峠を下田のほうに進んで行くのと反対に、下田からの帰り道の途中の見聞を短編小説にしたもののようだ。行きは旅芸人たちと一緒に歩いて峠越えをしたのが、帰りは疲れたとみえてバスで帰る寸法だ。

川端もまた「浅草紅団」など浅草物を残している。情景の掬い方や、人情の機微の描き方などさすがに上手いのだが、どうも高見順と違って上から目線のところがある。ファインダーを通して周囲を見渡すような、アリの巣穴を覗き込んでいるような、みずからの立ち位置がどうも気になるのだ。

だからこの映画の監督は、あえて役者にせりふを棒読みさせて、登場人物があたかも書割のような類型的存在だと強調しつつ、最後に小説とは別のどんでん返しをつけくわえて、操り人形のごとき主人公に生命を吹き込んだのではあるまいか。

この映画が作られたのが昭和11年、私が生まれる10年前だ。その10年は恐ろしい激動の10年であったが、たった10年でもある。大恐慌をようやく抜け出て、何とか息をつき始めた時期だ。そのかわり左翼は根絶やしにされ、世の中がどんどん軍国化し始めた時代だ。翌年には支那事変が始まる。5年後には日米開戦が迫っている。

安堵と鬱屈がないまぜになった時代、「自由」と「豊かさ」が最後の残り香を放ったつかの間の日々、そういう時代に「明るく、やさしく」生きる道はこんな風にしか存在しなかったのかもしれない。そういう時代は真っ平だ!