鍋谷さんが亡くなった。
葬儀が北一条教会で行われると聞いて、いささか意外であった。
聞けば、晩年はクリスチャンとなっていたという。
鍋谷さんは十勝の田舎の出で、函館の教育大学を出て、党の専従となった。私が勤医協に入ったころは北海道委員会の委員だった。道委員会の知性を代表する人だった。
どういうわけか、いろいろ縁があって、親父さんの主治医でもあり、後に鍋谷さん本人の主治医ともなった。
弁膜症の手術が成功して以来、すっかり元気になって、私の手を離れた。道南勤医協の専務として活躍された後、北海道民医連の方で社会保障闘争を担当していた。私に「医療論」を書けとそそのかした人物の一人である。
50歳を過ぎてから一念発起して名古屋の日本福祉大学に入学し、社会保障の理論家となった。
その後はたまに街で出会う程度の付き合いだった。

と、ここまでは一般的な話だが、クリスチャンへの転向が良く分からない。というより、私としては首肯できないのである。
経過や事情はさっぱり分からないから、一般的に唯物論者が宗教を受け入れる過程について考えてみたい。
実は逆のケースは良くある。既成宗教は大なり小なり形式化しているから、まじめな宗教者は現実と向き合ったとき激しいショックに襲われる。そのとき解決の道を示すのがマルクスということになる。
しかしこれは過去の話だ。実際には対話を通じて両者は無限に近似化して行くのである。

マルクスは「すべてのものは疑いうる」と言っているが、実はそれこそが宗教者の態度ではないかと思っている。すべてのものを疑い、すべての仮象をそぎ落し、残ったものの中に事態の本質を見ていけば、そこに神が見えたとしても不思議ではない。お釈迦様の「悟り」である。

逆に唯物論者は「すべてのものは信じうる」と考える。マルクスは「すべてのものは信じうるし、疑いうる」というべきだったと思う。そこには存在すべき必然性があり、存在するものが必然的に持たざるを得ない「矛盾」がある。

ただ、存在すべき必然性を“存在の前提”にして議論すると、カントになってしまう。存在を“生きた矛盾”すなわち“存在の過程”としてとらえなければならない。つまり八百万(やおよろず)の存在を信じつつ、存在を非在=否定の過程としてとらえていくことになる。

これが唯物論だ。究極の汎神論だ。あるものをあるがままに受け入れる、しかも過去から未来への流れのなかに変化するものとして受け止める。
唯物論は、常に楽天的であることを要求される。「そのうち何とかなるだろうさ」の世界である。唯物論は能動的であることを要求される。「やってみなきゃわかんねぇだろう」の世界である。唯物論は反権威的である。なぜなら唯物論はあらゆるものを信じるからである。神様なんかいなくても、「この世はすばらしい」のである。

だから、鍋谷さんには申し訳ないが、私には宗教への帰依=唯物論の放棄が前進的な結論とは、どうしても思えないのである。