本日は老健施設所長としてのデューティーとして研修会に参加した。

研修会のゲスト演者は北海道ではおなじみらしい料理番組の専門家で、何でも出演回数の多いことでギネスに載るほどの人と言う。
話は徹底して庶民的で、面白く人をあきさせない。おばさん風の決め付けが多少気になるが、さすが人気タレントと思った。
演題は「高齢者の食事」ということで、私の興味の中心点のひとつでもある。

1.食べることは無条件に楽しみなのだろうか

聞いていて、ふと思ったのだが、「高齢者にとっては食事は必ずしも楽しみではないのではないか」、ということである。

人は日に三度飯を食う。人生80年として、3x365x80=87600回飯を食わなくてはならないのである。老健に入ってる人なら軽く9万回は越すだろう。考えてみるとこれってカルマですよね。

この人は料理研究家だから、当然人間は食事が楽しみだという前提に立っている。

2.性欲は無条件に必要ではない

ここでちょっと下世話になるが、セックスの話と比較して見たい。
人間、みんなセックスが好きというわけではない。毎日でもやりたい人もいれば、一生しなくてもすむ人もいる。若いときはお盛んだったが、最近では悟りを開いたという人もいる。
しかしさすがに日に三回という人はいない。人間にとって性欲はどちらかというと厄介者で、なくても済むくらいのものだ。

それでは食欲って何なんだろう。性欲と同じで、なくても良いものであってはいけないのだろうか。

現に高齢者だけでなく多くの人が性欲なしでも生きている。「欲がないと生きていけない」というのは、それだけでも嘘なのだと分かる。開き直るようだが、「欲なしに生きていたんじゃいけないんですか?」ということだ。

3.人間、食べられなくなったら終わりだろうか

人間、食べられなくなったら終わりだよね」という考えはみんな持っている。果たしてそうなんだろうか。飯なんか食わなくても生きていけるんなら、そのほうがよっぽどいいんじゃないだろうか。

人間の一日の内で8時間は眠らなくてはいけない。少なくとも8時間は仕事しなければならない。残りの8時間のうち、3度の飯に費やす時間は、料理と後片付けをあわせると下手すれば3時間を越える。

言いたいことはこういうことだ。

入所中のお年寄りが飯が食えなくなる、あるいは食わなくなる、こちらとしては「胃ろう」を勧めることになるが、家族はたいてい反対する。「人間、食べられなくなったら終わりだよね」ということだ。

本当にそうなんだろうか。「立たなくなったら男じゃないよね」という論理が、何のためらいもなく、そのまま持ち込まれているだけではないか。

4.何の欲もなくウツラウツラと暮らすのが解脱の境地

そうではないでしょう。物欲、性欲、食欲という欲望がなくなるというのは、80年も90年も生きてきて、そういう解脱の境地に到達したということでしょう。

一時代前に「恍惚の人」という言葉が流行った。恍惚というのは、本来悪い言葉ではない。我々の時代には、「恍惚」というのは女性がセックスの最中に絶頂に達して「アヘアヘ」とあえぐのを表現した言葉である。川上宗薫のお得意だった。

そうやって現世の欲望から離脱して、涅槃の状態に入って死ぬのは、むしろ人生の目標ではないか。そのためにこそ日に三度のカルマを積み、週に1度(?)の嫁さんとの(?)カルマを積んで来たのではないか。

5.食欲への過度のこだわりは世相の反映

錠剤1錠飲めば、その日の食事は終り、みたいな話が、子供の頃読んだSF漫画にあった。人生他にもっとやりたいことがあれば、それもまた一案であろう。

むしろ最近の異様に肥大した食文化こそが、問題なのではないかという気もする。一昔前はセックス産業花盛りだったが、それが衰えて食文化に移行したとすれば、グルメブームの偏った隆盛は、ある意味で人間社会の衰えの表現なのかもしれない。