京都教育大学で発達障害学を教えている丸山啓史さんというかたが、赤旗に寄稿されている。
話は現代教育の批判から始まる。おおかたは正しいのだが、納得できないことが二つある。
ひとつは、「成長・発展ばかりを評価しようとする発想を根本的に問い直す必要があるのではないか」という点。

丸山氏は自らの教育実践を以下のように位置づける。
障害のある子供の発達保障をめざすなかで、私たちは、気持ちの育ちや主体性の広がりに目を向け、子供の内面を見つめようとすることを大切にしてきた

これは「子供を全面的に見て行こう」という働きかける側の視点だ。
しかし、それでも究極は「気持ちの育ちや主体性の広がり」、すなわち成長と発展に収斂しているのではないか。

絶え間なき「向上心」は、日本人の悪い癖なのかもしれない。それが障害児を追い詰めているのなら反省しなければならないのかもしれない。
ただ外国人を見ていると、「少しくらい向上心持てよ」といいたくなる場面も少なからずある。


もうひとつは、「畳に寝転んで窓の外をただ眺めること、コタツに足を突っ込んでたわいないおしゃべりをすること」も教育という範疇のなかに取り込もうとする点。

私が子供の立場だったら、障害児の場合特殊性はあるのだろうが、一人でボケッとしているあいだくらい、教師の眼からは逃れたい。その目線があったかろうが冷たかろうが、だ。「好きにさせてくれ」(Leave me alone)と言いたい。


学校の効能は二つある。知識や技術の伝授と、学問的刺激だ。学問的刺激は主に教師よりも仲間や、時によってはライバルから与えられる。

そして具体的には職業につくための力量を身につけることにある。それはたんなる「目先の目標」ではない。仕事こそが人間の本質的な力を生み出すのだからだ。