本日のサッポロ反原発集会は1万数千人が集まったそうだ。70年安保以来だ。
あの時も1万人を超える集会は2,3回ではなかったかしら。
イラク戦争反対のデモも5千人で「すごいね」と行っていたが、やはり生活にもろにかかわるものだけに、根っこの深さが違う。
集会が大通8丁目で行われて、そこから出発したデモの先頭が大通で解散しているのに、まだデモ隊の最後列は会場を出ていないというくらいすごいものだ。
実は集会と並行して、宗平協の「反原発シンポ」が行われ、そちらに出席した。
話として印象に残ったのが三つ。

ひとつは、福島では餓死した犠牲者が相当いたということ。2日目に避難勧告が出て、みんな逃げ出したから、建物の中にいた人たちは見殺しにされた。
60キロの体重が39キロになって発見されたというから、間違いなく1週間やそこらは生きていたはずだ。検視した医者がそういっていたそうだ。。こういう人々は「原発事故による直接の死者」とは呼ばないのだろうか。
見殺しにされたのは牛ばかりではなかった。牛舎につながれたままやせ衰え死んだ牛の写真を見せられると、つい死者を想像してしまう。
これは間違いなく、修羅の世界だ。

ひとつは、核燃料サイクルの究極の目的が純度99%のプルトニウムを精製することにあるということ。だから再処理施設も、「もんじゅ」も、大間のMOX原発も決してあきらめないのだそうだ。
正直初耳である。ありそうな筋書きだが、すこし根拠をはっきりさせなければ、にわかには確信とはならない。

もう一つはブラジルからやってきた佐藤清浄さんの話である。彼が唯一宗教と関連付けて原発を語った。その際のキーワードが「業」であった。
彼は原発事故は人間の「業」だとした上で、「業」には災難という意味もあるが、「業」に基づく行いという意味もある。原発事故をもたらしたのも「業」だが、それを克服しようとするのも人間の「業」なのだと語った。(やや私の解釈が入るが…)

もう一人の人が、岩内原発のために乳癌が増えているとし、その証拠に帯広よりも札幌、札幌よりも小樽のほうが乳癌発生率が高いと述べている。
これは、いささか理解に苦しむ主張である。少なくとも年齢構成、授乳機会の数が補正されなければならない。さらに乳癌よりもっと相関が高いとされる甲状腺がん、白血病などの発生率が比較されなければならない。
こういうことを言っていると、運動そのものの信頼が失われかねない。