1980年代の日本はなぜバブル景気になったのですか?そしてなぜバブルは崩壊したのですか?

http://manabow.com/qa/bubble3_1.html

というサイトで、バブルの背景を分かりやすく説明してくれている。

分かったことは、80年代バブルの発生には、二筋の経路があるということだ。

ひとつはプラザ合意を引き金にした国際通貨の大変動であり、その負の影響をモロに被ったのが日本だということ。

もう一つは、1983年11月の「日米円ドル委員会」を起点とする金融自由化の動きだということ。

そしてその二つの合体したところに「前川レポート」があり、これを引き金にしてバブルが始まったという流れです。

その底流には実体経済の変化があり、対米輸出を牽引車とする日本の産業は、アメリカの景気が後退局面に入る中で、膨大な為替損と、行き先のない円を抱え途方にくれていたといえます。

つまり、バブルは空前の好況を示すのではなく、その終わりにあたって咲いたアダ花といえるでしょう。だからバブルがはじけたとき、そこには寒々とした世界が広がっていたのです。


わずか1年間のうちに240円から150円まで円高に振れたため、国内経済は強い不況に直面することになりました。

日本は1986年3月以降、為替介入を逆転させて「ドル買い・円売り」を実施しました。

しかし勢いのついた円高・ドル安の流れは止まず、1987年暮れにはついに122円台まで円高が進みました。

1986年に日銀は258億ドルを買いました。それは日銀の金庫に入るのですが、それに相当する円を発行することになります。

これは為替市場との一種の戦争です。市場はドル売り円買いを進めます。それで125円前後で相場が落ち着いたとき、日銀の金庫には大量のドルがたまり、市場には、それに相当する4兆円強の円が残ることになります。

その4兆円の持ち主は元のドルの持ち主だった日本の輸出産業です。アメリカは借金をチャラにして逃げました。

つまり、円高に対する日銀介入がバブルの原資を提供したのであって、プラザ合意が直接バブルを招いたのではありません。


とはいえ、高々4兆の金がバブルを招いたわけではありません。それはいわば“呼び水効果”とも言うべきものでしょう。

この間公定歩合もずいぶん引き下げられましたが、これは「円高不況」への対策として打ち出されたもので、ある意味では当然の措置です。

公定歩合引下げがバブルの原因といわれると、喧嘩の仲裁に入っただけなのに犯人扱いされたみたいなもので、不本意でしょう。

一度、この時点で時計を止めて、経済学の枠組みで考えてみる必要がありそうです。