インターネットでいい写真を見つけるとコピーするのだが、たいていは、そのまま眠ってしまっている。
すこし掘り出して、すこし解説を入れて紹介する。
最初はこれ。

スペイン人民戦争の初期。フランコ軍がマドリードを攻めたとき、市の西部のマドリード大学が戦場となった。構内で闘う共和派民兵。
以下、私のスペイン人民戦争年表から抜粋します

11.07 バレラ軍約二万がマドリード総攻撃を開始.西側三方面から突入を図る.マナンサス河にかかるマドリード入口橋に突入した部隊は,民兵隊に迫撃戦を挑まれ,いったん撤退.

11.08 マドリードに最初の国際義勇軍が到着.ドイツ人のハンス・カーレ大隊,フランス人のコミューヌ・ド・パリ大隊,ベルギーのエド ガル・アンドレ大隊,ポーランド人のドンブロフスキー大隊.のちにはドイツのテールマン大隊,イタリアのガリバルディ大隊,フランスのアンドレ・マルティ 大隊が加わる.さらにアラゴンのアナキスト指導者ドゥルティも3千の兵力で防衛軍に参加.詩人ラファエル・アルベルティは「マドリードはあなた方の名に よって偉大になり,光り輝いている」とたたえる.

11.09 ファシスト軍の先陣が大学町付近に到達.カサ・デ・カンポ公園に侵入.第五連隊の三万と,青年同盟の三万が前線防衛にあたる.大学校舎から狙撃する民兵と反乱軍が,一つ一つの建物の中で白兵戦を演じる.夕方までに,国際旅団が大学の確保に成功.

11.09午後 第11国際旅団からなる第一縦隊と,カタロニア統一社会党により構成された第二縦隊が敵陣に向け前進.イバルリは「マドリードはファシストの墓場となるだろう.やつらを通すな!」(No Passaran!)を連呼する.

11.10 モロッコ軍,トレドとプリンス橋で二度にわたり民兵の防衛線を突破.その後,国際旅団の夜襲を受け,甚大な被害とともに押し戻される.マドリ-ド空襲団とドイツのコンドル兵団による強力な空襲攻撃.

11.15 ブエナベントゥーラ・ドゥルティの率いる,カタロニアのアナーキスト部隊3千が、共和派軍支援のためアラゴンからマドリードの前線に参加.その他,スペイン各地から9つの支援部隊が到着,直ちに前線に参加する.

11.16 フランコ軍,マンサナーレス川を越え,市内に突入.大学町で1週間にわたる市街戦.

11月末 ファシスト軍,マドリード占領をいったん断念.包囲・持久作戦に切り替える.