ベネズエラの大統領選挙がいよいよ間近に迫ってきた。赤旗読者の方は、選挙の勝敗よりも“チャベスが変質したのではないか”と心配しているかもしれない。そんな心配は必要ない。

もう一人の“改革派”候補が意外に強くて、ひょっとしたら負けるかも、と心配しているかもしれない。それも心配ない。国民の支持は分厚い。

心配なのは、選挙の後に野党が「不正選挙」を騒ぎ立て、「チャベス独裁を打倒せよ」と騒ぎ立て、国内外のマスコミがそれを煽り立て、「労働者のゼネスト」、「企業スト」などが決行されて、街頭での流血騒ぎや、野党が握る自治体での警官の不服従が広がることだ。

既存の学生運動、既存の労働運動は明確に反チャベスのスタンスを取っている。彼らは本当の民主主義に慣れていないのだ。「国民が主人公」であることが不満なのだ。

以下に、イギリス人オブザーバーのブログ記事を紹介する。「野党」のデモを皮肉たっぷりに批判しつつ、「選挙が終わってからがやばいぞ」と警鐘を鳴らしている。何かクーデター前のタイの黄色シャツの「反タクシン」デモを思い起こさせる光景だ。

 

October 1st 2012

A Strange Kind of "Dictatorship"

訳が難しいが、「ヘンテコな独裁」という感じか?

 

今日、7日の選挙を前に、何万もの野党支持者がカラカス市内を行進した。暴力的な雰囲気はなかった。大統領候補エンリケ・カプリレスが群衆にかつがれ、行進した。人々は喝采を送った。

私はいまベネズエラで告発されている「独裁」について考えている。

それは奇妙な「独裁」である。それは何千もの野党支持者が集まり、行進し、「反独裁」の旗を振るのを許している。

それは奇妙な「検閲」である。「反独裁」のデモンストレーションのすべての経過がライブ放映される「検閲」である。それを放映するのは民間メディアであり、それはとんでもなく富裕な企業主によって資金を供給されている。

私は行進を見物していたが、周りには武装警官も丸腰の警官も見なかった。なんという奇妙な「弾圧」の方式であろう。

あるところで、警察ヘリコプターが群衆の頭上でホバリングした。そのとき群集はみんなでホーンを吹いて、空に向って手を振った。

私のイメージでは、「独裁」とは恐怖のうちに生きることである。そのイメージとはどうも食い違っている。

にもかかわらず、何かがこの大規模なデモを突き動かしている。それはなんだろう。

これがイギリスだったら、これだけの人が街頭に飛び出すというのは歴史的な事態である。しかしここでは人々は誰か一人の政治家を支持するために街頭に出る。しかもその政治家は、近いうちに行われる大統領選挙で、大方の予想では負けることになっている人物である。

 

木曜日に、ウーゴ・チャベスもカラカスで選挙の打ち上げ集会を開くことになっている。二つを比較するのは面白い見ものになるだろう。動員者数の比較だけではない。参加者の意気込みとか意見とかがどう違うかだ。

今日の野党の行進では、どこでも大量のビールが売られていた。僕らは見てしまったのだが、それをカメラに撮ろうとしたら断られた。

両方の側の集会動員数が多いということは、一つの事実をくっきりと浮かび上がらせる。すなわちいまベネズエラでかなり危険なことが起きようとしていることだ。

人々はすでに「民主主義の平和協定」とは別れを告げている。それは似通った政策の二つの党派のいずれかに投票するというやり方だ。そういうやりかたは、イギリスではいまだ健全だ。しかしここ、ベネズエラでは、そんなものはとうの昔に葬り去られている。そして彼らにはそこに戻ろうという気持ちはない。

野党は言う、「この国は団結すべきだ」と。しかし貧しい人々は、そんな団結などないことを経験している。金持ちのいう「団結」とは、貧しい人々の存在を否定することだ。人々の尊厳ある人生を生きる権利を無視することだ。何度となくそのことを経験してきた。

今日、カラカスの町には多くの人々が繰り出している。彼らはそう信じているようである。「道は一つだけ!」(Hay un Camino)

しかし、もし彼らの推す候補が日曜日に落選するならば、彼らはその結果を受け入れるだろうか?

By Jody McIntyre