赤旗文化面に大森さんという女性弁護士が寄稿している。
題名は「日本軍『慰安婦』の被害事実は明白--無知さらけ出す橋下大阪市長
ポイントは以下の通り

(嫌韓右翼たちは)被害女性たちが日本の軍や警察などの官憲によって、「慰安所」に強制連行されたか否かが最大の問題であるかのように描く。すなわち官憲による強制連行がなければ、彼女たちは自らそこに「稼ぎに行った売春婦であって、日本政府に何の責任もない」とする。
しかしながら彼女たちが「慰安所」で強制された生活の実態を見れば、どのようないきさつでその場所に行ったかはまさに問題ではない。
…この被害事実を直視すれば、このような女性たちの被害は「性奴隷」とされた被害である。



「慰安婦問題」に関しては、以前からいくばくかの違和感を抱いていた。
売春(プロスティテューション)というのは世間一般の耳目を引きやすい。愛情の表現であるべきセックスが売買されるという倒錯があるがゆえであろう。
むかしから売春に対する反対運動というのはあった。ただそれだけ孤立して取り出すと、安っぽいヒューマニズムになりかねない。フェミニズムの立場からの反対運動もあった。ただ売春というのは「性差別」という枠では掬い取れないという思いがある。

わたしは、売春を「労働」に近い観点から眺めるべきだと思う。感性的な内容をふくむだけに、なおさら「労働」の具体的内容ではなく、「労働」の社会的形態、「労働」をとりまく一般的環境から論じるべきだと思う。
強制云々も「強制労働」の一種としての「強制売春」としてとらえていくべきだと思う。そこではじめて、北海道で亡くなった多くの朝鮮人、中国人労働者との共通性を抉り出すことが出来る。
「おじいさんが山へ柴刈りに、おばあさんが川へ洗濯しに」行ったように、男は鉱山で、女は苦界で奴隷労働を強いられたのだ。

橋下というのはネトウヨ代表のようなものだ。ネトウヨとの下品な「論争」に陥ることなく、説得力の強い議論を展開するにはそこがポイントではないだろうか。
もちろんそれ自体が犯罪性を帯びている「売春」という行為を、「労働一般」に還元してはならないのだが、それを承知の上で、まず共通性を強調しておきたい。