http://www.saitama-med.ac.jp/jsms/vol31/03/jsms31_183_193.pdf

埼玉医科大学雑誌 第31 巻 第3 号 平成16 年7 月

 

もうやめようと思ったが、ルソーについての面白いペーパーを見つけてしまった。

『ルソーの泌尿器疾患について』という論文で、埼玉医科大学の斉藤先生という泌尿器科のお医者さんが書いたものだ。ルソーのいわば持病だった「尿閉症」を中心に病蹟学(Pathography)的な分析を行っている。

少しそのさわりを紹介しておく。斉藤先生は『告白』をじっくり読み込んで、そのなかから病気についての記載を引き出している。

 

①出生時から小児期まで

「私は死なんばかりの状態で生まれ,育つ望みはほとんどなかった」

②青年期

「息切れがし,圧迫を感じ,知らないうちにため息し,動悸が高まり,喀血した.微熱がでた」

「私は健康な体質だし,それにいかなる不摂生もしないのに,眼に見えて衰弱して行った原因が,どこにあるかわからない」

(ルソーは死ぬと思い,遺言書を書いた)

「眼に見えて衰弱,死人のように青ざめ,骸骨のようにやせていた.動脈は恐ろしくうち,動悸はますます早くなり,たえず息苦しく,ついに衰弱があまりひどくなったので,動くのも苦になった」

「医者たちは,私の病気がぜんぜんわからず,私を気で病んでいるとみなした」

③壮年期(1742~1762,30~50歳)

(ヴェネチアの娼婦と10フランで関係)「私は病気を移されたと,全く確信して館に帰ったので,戻ってやった最初のことは,医師に人をやって,煎じ薬を求めることだった.

彼(医師)は私が特別の体質だから,簡単には感染しないのだと納得させた。そういう病気(梅毒)にはかからない体質だ」

{1758,45歳}

「彼ら(医者)の指示に従えば従うほど,私は黄色くなり,やせて,衰えた。私は大金を払って,消息子を大量に買い込んだ。こんなに高く,苦しくて,つらい手当てをして,気を散らさずに,仕事ができるはずがない」

{1761,49歳}「結石はないが,前立腺が硬性腫瘍にかかって,異常に肥大している。彼は(コーム),私はひどくくるしむだろうが,長生きするだろうとはっきり言った」

 

④晩年・死亡時

1778年7月2日,例のごとく早朝起床して散歩,8時帰宅,朝食,しばらくして突然気分がわるくなる.

「彼は足の裏がちくちくしてとても気持ちが悪い,背骨にそって氷水が流れるような寒気がする.胸が苦しい,発作のときのようなとても激しい頭痛がする.とつぎつぎと訴えました.彼が両手で頭をかかえたのはこのことの表現だったのでしょう.そして,頭蓋骨が割れるようだといいました.この発作ののちに,彼の生命は絶え,椅子から下にたおれました.すぐだき起こしましたが,彼はもう死んでいました」

これはテレーゼの口述だが、死の間際にこれだけの症状を次々に訴えるのはすごいです。

 

以上のごとき論述から、斉藤先生は以下のように推論しています。

診断根拠となる検査所見はないが,ルソーのような尿道のひどい苦しさを訴える疾患には,除外診断として,前立腺症,心身症や神経症的不定愁訴を訴える疾患として,前立腺痛(症)も考えられる.

 いわゆる前立腺症には意思の疎通のはかり難い患者が多い.(臨床医としての実感がこもっています

ルソーが前立腺症かは不明であるが,類似点も認められる.

前立腺症は致死疾患ではないが,患者の訴えに対して,疾患を証明する検査所見が乏しく,精神病との境界領域の疾患とも考えられている.

晩年になって,尿閉症,尿意切迫感が悪化・進行したという記載は見当たらない.あれだけ苦しんだ症状の記載がないことは,青・壮年期にひどかった症状が,老年になって軽減したためと考えられる.

ルソーは医学の知識もあり,ヒポクラテスも知っており,医学を信用しているが,医師を信用せず,医師に対して極端な敵対意識を持っている.さすがに,医師に対して,刃傷沙汰や,暴力行為はしていないが,文の剣で,医師を突きまくっている.

自分の疾患に対する不満がつのって,後に社会に対する不満と重なり,『人間不平等起原論』の起原になったと推測出来なくはない.(ここはちょっと言い過ぎかも知れません)

斉藤先生は精神医学的な評価を慎重に避けていますが、一昔前の精神科医なら、こういうケースには間違いなくパラノイアの診断を下すでしょう。


ついでですが、ルソーの医者の悪口は相当なものです。医者とか坊主なんてのは、陰口を叩かれるのが商売みたいなものですが、それにしてもすごい。

 「自然状態の人間にはほとんど薬が必要はなく,医者はなおさら必要ではない」(『不平等論』48).

 「わたしは医者がどんな病気をなおしてくれるのかは知らない.医者が非常に有害な病気をもたらすことを知っている」(『エミール』上56).

 「自分のためには決して医者を呼ばない.生命があきらかに危険状態にあるときは別だ.その場合には医者もかれを(エミール)を殺す以上に悪いことをするはずはない」(『エミール』上58).

 「賢明なロック(イギリスの思想家)はその生涯のある時期を医学の研究にすごしたが,用心のためにも軽い病気のためにも,子どもには決して薬を与えないように熱心にすすめている」(『エミール』上58).

 「かれらが(医者)なおした病人のうち幾人かはかれらがいなければ死んでいたかもしれない.しかし,かれらが殺した幾百万の人は生きていたことだろう」(『エミール』上108).

 「医者と哲学者は,自分の説明できることしか真実とは認めず,自分の理解力を可能の尺度としている」(『告白』6 巻284).

 「わたしはかれらの技術のむなしいこと,その診療がなんの役にもたたないことの生きた証拠なのだ」(『散歩』115)


もう40年も前のことですが、村上孝太郎という人が参議院選挙に出て当選したのですが、まもなくガンが発見されてそのままなくなってしまったという出来事がありました。運輸省か通産省の次官か局長まで行った人で、ちょうどその頃はやったフォークソングの「走れコータロー」という歌をそのまま選挙運動に使っていました。

この人は、入院してから猛烈に医学書を読み漁ったそうです。たちまちのうちに医者どもの知識を追い抜いてしまい、研修医に指図したそうです。

しかし、そういうことはよくあることなので、医者というのは例え専門医であろうと、臨床医であるかぎりは、深さより広さが求められるものなのです。

言い訳っぽくなりますが、人間というものが全面的である以上、医療の側も全面的であることが要求されるのです。