そろそろ疲れたので、ルソーはお開きにしようかと思う。

ルソーの文章は、そもそもからしてポレミックなものだ。自然人は高貴であり、社会がそれを堕落させていくという筋立ては、一種の反文明論であり。文字通りに受け取ることは出来ない。

ただ、自然人が野蛮人であり、それが社会の中で洗練されていくという常識に対するアンチテーゼとして、逆の面もあるんだよという点では説得力を持つ。

また人間がエデンの園を追われたアダムとイブ以来、原罪を担った存在であるというキリスト教の教えに対する反論でもある。

しかし、それだけではこの議論は持たない。じゃぁどうするんだということになる。そこで「自然に帰れ」ということになるのだが、これ自体も一種のレトリックである。もう一度自然を踏まえて、そこから自由とか理性とかを構築して行こうではないかということだ。

後半になると、こちらのニュアンスのほうが強くなる。それはおそらく論敵との10年間の論争の赴くところであったろう。それが「教育論」という形をとった人倫的共同体の形成への志向であろうと思う。

しかし政治の話は、共同体レベルでは済まされない。「国家主権」の問題が浮かび上がらざるを得ない。そこで自由の意志の発現としての国家主権への自発的従属の主張が登場する。

しかしこれも勢いのなせるところ、「従属こそが自由だ」的なニュアンスで語られる。

しかしこの時代にはそもそも「民主主義」とか「主権在民」という概念はないのだから、「みんなで決めたらみんなで守りましょう」というレベルの話ではないだろうか、「みんなで決める」ことに意義があるのであって、王制主義者が「そんなことでは無政府状態になる」と反論すれば、「決めたら守るのは、決め方がどうであろうと同じだ」てな売り言葉に買い言葉の乗りではないでしょうか。

ルソーは徒党を組むということをしていないので、常に異論派と直接向かい合って暮らしていたはずだ。だから、ルソーを読むときは、ルソーだけでなく、ルソーの向こう側にいる論敵の姿を思い浮かべながら読む必要があるだろう。