1997年問題にヒントを与えるグラフを見つけた。

第5章 金融自由化 - 経済社会総合研究所

というファイルで、図は下に示したものである。

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64年というのは東京オリンピックの年で、日本が本格的に高度成長を開始した年である。

驚くべきは、この成長の時代を通じて、日本の企業は資金不足に悩むことはなかったのである。74年のオイルショックのときさえ、手元資金はいくらか減少にしても資金調達額そのものはかげりを見せなかった。民の懐は豊かで、奥行は深かったのである。

78年以降は明らかに変化が見られる。調達額の増加と平行して手元資金の余剰額も増加し始める。高度成長が一段落し、企業が成熟し、資金を使いきれない状況が生まれ始めたことになる。金余り時代の到来である。

この余り金が行き先を求めてもがいていたのが84年~85年の状況である。その一部は米国債や海外投資に向かった。そこで日米委員会・プラザ合意・前川レポートの三点セットが登場する。

そこから90年までの5年間は“狂気の5年間”である。企業は本業そっちのけで資金をかき集め、手元資金さえ突っ込んで投機に熱中した。いま思えば、この時期の経営責任者こそは“A級戦犯”である。

90年に見事にバブルははじけとんだ。その後92年までは落ち込んだとはいえ資金調達には余裕はあったが、資金不足には歯止めがかからなかった。そして92年にはついに手元資金がマイナスに落ち込む。

ここからがドラスティックだ。資金調達は急速に落ち込みほぼゼロとなる。ぎゃくに資金不足は一気に解消され、収支バランスがあわせられる。土地は塩漬けとなり、資産の簿価は下がり、現金・預金はタンスにしまいこまれた。企業はリストラに精を出し、経済は停止した。

この危機を公共投資が回復させる。赤字国債の発行と大規模公共事業だ。医療・福祉に向かうべき資金も、企業救済を目的とする公共事業に回された。

94年から97年にかけての動向は微妙で神経質だ。大規模公共投資で上向こうとするがすぐ中折れする、という状況が繰り返される。今から考えると、資金不足の解消は見せ掛けだけで、ほとんど粉飾に近いものだった。オリンパスの飛ばし事件は象徴的だ。

そして97年だ。これを機に企業は自己資本と内部留保の積み増しにひたすら励むようになる。一方でオイルショックにもびくともしなかった資金調達能力は、坂を転げ落ちるように低下していく。

国民と企業の関係が、97年を機に様変わりしていることがわかる。それまでは国民から資金を集め、生産に投資しその利益により手元資金を生み出すという構造であった。しかし97年以降は国民から収奪し、それを手元に蓄えることにより企業が維持されるという構造になっている。国民の富は日ごとに失われ、ひたすらに企業へと移転されている。

そういう風に、このグラフを読み解いたが、如何であろうか?