今日は9月11日。クーデターから39年だ。
私の年表は、アジェンデと人民連合政府の活動を詳しく跡付けているが、基礎資料は玉石混交。作成当時の制約から、一次資料に当たっているわけではないので、小さなミスもかなりあると思う。

アジェンデの演説については、各種資料からの引用を継ぎ合わせて作ったものだが、その後、原文がインターネットでも紹介されている。
最後といっても何種類かあるようで、ちょっと整理しておきたい。

まずは私の年表から、クーデターの開始~アジェンデの死までの経過を再掲する。

9月11日

午前6時 チリ海軍が反乱を起こし,バルパライソの町を制圧.市長を逮捕.モンテーロ司令官を監禁し,メリノが反乱を指揮.

午前7時 空軍部隊がサンチアゴの工業地帯を制圧。活動家の一斉逮捕を開始する。

11日 3軍と警察軍によるクーデタ決行.その後の3ヶ月で1,213人が当局の手により死亡,あるいは行方不明となる.国際アムネスティの調べでは,4万人が虐殺,10万人が逮捕,拷問.100万人が国外へ逃れる.

11日 クーデター当日,米国空軍将校の操縦する米国のWB-575飛行機-空挺通信管理システムの中核が,チリ上空を巡航.さらにチリ国境に近いメンドサ(アルゼンチン)の米国空軍基地には,アメリカの偵察機と戦闘機が緊急出動態勢に入る.

午前7時30分 アジェンデと政府幹部,バルパライソの不穏な動きに対処するため,大統領官邸を出て宮殿に集結.

午前7時35分 セプルベダ国家警察隊長官が大統領執務室で状況を報告。

午前7時55分 アジェンデ、執務室からラジオ・コルポラシオンを通じて第一回目の放送。

「海軍の一部が反乱を起こした。サンチアゴにおいて軍の異常な動きはない。とくに労働者の皆さん、職場に就き、工場に行き、平静を保ち、注意深く行動してください。そして共和国大統領の呼びかけと指示に従ってください」

午前8時 国防省が陸軍により占拠される。国防次官のバレンズエラ陸軍大佐は入庁を拒否される。

8時20分 国家警察隊サンチャゴ部隊のパラダ司令官が、セプルベダに背きクーデター側に就く。

8時30分 地主層の放送局ラジオ・アグリクルトゥラ、「4軍軍事評議会」による声明を流す。「共和国大統領はその官邸を軍ならびに国家警察隊に即刻引き渡さなければならない。これに従わない場合、陸と空から攻撃される」と述べる。

8時55分 大統領宮殿の防護にあたっていた戦車をふくむ国家警察軍部隊が撤退を開始する。セプルベダをふくむ本部付将校50名は孤立する。

9時 反乱部隊の少佐二人がモネダ宮殿に入り,アジェンデに辞任と国外退去を求める.アジェンデは要求を拒否し,大統領宮殿の防衛体制を編成.非戦闘員の退去を指示.

9時05分 アジェンデ,ラジオ・コルポラシオンを通じて4回目の演説。このあとこの放送局は爆撃され、ラジオ・ポルタレスの放送塔は吹き飛ばされる。

この瞬間、私達の上を飛行機が飛んでいる。彼らは私達を攻撃することもできる。あ なた方に私達がここにいることを知ってほしいと思う。私は人民の委任に基づき、この任務を遂行するであろう。人民は挑発に乗せられたり、大量虐殺を許したりしてはならない、自らの成果を防衛し権利を防衛しなければならない。

9時20分 アジェンデ,共産党系のマガジャネス(マゼラン)放送を通じて最後の演説。国民にたいする最後のよびかけとなる.

最後の演説の骨子(原文が「ビクトル・ハラ」というサイトに載っています。以下の文章は様々な文献から継ぎ接ぎしたもので、順序やニュアンスが少し違っているようです。4回目の演説と混ざっているかもしれません):
  これが,あなたがたに語りかけられる最後の機会だと思います.…ただわたしが労働者諸君に言えることは,わたしは辞任しないということだ.歴史的危機状況 に際して,わたしはわたしの生命をもって人民の忠誠に報いよう.わたしは告げたい.多くのチリの人々の誇り高い良心に,われわれが差し出した種は決して芽 をつみ取られることはない,とわたしは確信していると.
彼らは武力でもってわれわれを屈伏させるだろう.だが,武力をもっても,犯罪的行為をもっても,社会的進歩をおしとどめることはできない.歴史はわれわれのものであり,歴史は人民が作るものである.
…祖国の労働者たちに感謝します.法を重んじ,ことばを守り,正義を願う心の伝達者に過ぎない一人の人間に,あなたがたが与えてくれた忠誠に対して.
… マガジャネス放送はわたしの声をあなたがたに伝えていないかもしれない.が,あなたがたはわたしに耳を傾けてくれているだろう.これがわたしの最後のこと ばです.わたしが犠牲となることは決して無駄ではないと信じている.すくなくともそれは卑劣,不実,背信を告発するひとつの道徳的教訓となるであろう.わ れわれは,あなたがたとともにいる.
…労働者たちよ.わたしはチリを,チリの運命を信じている.背信がのさばる苦くうらがなしいこの「時」を,他 の人々は乗り越えてくれるだろう.よりよい社会の建設のために,解放された人間が生きる場所に,ふたたび大きなポプラ並木が開かれるのは,そう遅いことで はない.そのことを理解し,我々に続いてほしい.…チリ万歳!人民万歳!労働者たち万歳!

09:35 CUT,すべての職場を占拠するようよびかける.軍は家にとどまり静粛にするよう放送.

10:00 モネダ宮前に反乱軍の戦車出現.戦闘配置につく.

10:30 軍部,11時より爆撃を開始すると通告。アジェンデに対し降服をもとめる.アジェンデの指令にもとづき,大統領府護衛の兵士の動員を解除する。

11:15 軍事評議会,布令第一号を発表.「重大極まる社会的道徳的危機」「政府が混乱を抑制できないでいること」「ますます多くの准軍事 集団が訓練され,これによりチリ国民が内戦に巻き込まれる恐れのあること」をクーデターの理由として上げる.同時に労働者の権利と既得権の尊重をうたう.

11:30 軍事評議会,軍令第一号=布令第三号=戒厳令を宣言.

11時半 セプルベダ国家警察軍司令官、将兵の離脱を確認した後、モネダ宮殿を離れる。あとに50人の民間人が残留。大統領のボディーガード約15人、警察官6人が武器を持ち抵抗。

11時半 サンチャゴ作戦を指揮するパエサ将軍、「モネダにいるもの、とくにアジェンデについてどのような痕跡も残すな。虫けらの世に絶滅しろ。目標を空と陸から破壊しろ」と命令。

11時半 人民連合の政治委員会、「抵抗を行うな。労働者は職場を出て帰宅せよ」との決議を流す。

11:52 空軍ホウカー戦闘機,モネダ宮に対する爆撃を開始.20分間に20発のロケット弾が打ち込まれる.宮殿前に陣取る戦車も砲撃を開始.アジェンデは降服命令を拒否.

12:15 マガジャネス放送,「あらゆる抵抗の企ては粉砕されるだろう」と声明.

12:30 大統領私邸も爆撃を受ける.

12:45 モネダ宮殿は炎に包まれる。パラシオス将軍の指揮する突撃部隊が突入体勢に入る.

14:00 共産党本部に強制捜査.銃撃戦となる.数十名の勤務員が連行される.

14:10 アジェンデ,「降服の用意がある」とし,5分間の停戦を要求するが,軍はこれを拒否.(最近の再調査によりアジェンデは銃弾を頭に打ち込み自殺したことが確認された。時刻はこの直後であろう)


ということで、アジェンデはラジオ・コルポラシオンを通じて4回、さらにラジオ・マガリャンエスを通じて最後の演説を行っていることになる。


ビクトル・ハラ」というサイトにアジェンデの演説が翻訳されて掲載されている。


午前9時3分 ラジオ・マガジャネス
こちらは短い。

 この瞬間飛行機が通り過ぎていく。我々を攻撃する可能性がある。
 …私は祖国にとって尊い原理を守るため私の命を贖う。…

午前9時10分 
こちらが最後の演説とされるもの

確実にこれが貴方たちに話しかけることができる最後の機会であろう。
再び大きな並木路が開かれ、そこをより良い社会を建設するために自由な人が歩くことを…。

サイト主のコメントによると、この演説は情報源によって若干の差異があるそうだ。
サイト主はhttp://www.carbonell.com.ar/salvador_allende.htm
となっているが、このページは残念ながらリンク切れになっている。

なお、9時3分の演説は私の年表では、若干時刻は違うが、ラジオ・コルポラシオンからの4回目の放送となっている。前後の状況から見て、私の年表のほうが正しいと思う。しかしこちらのサイトのほうが文章は完全かもしれない。採否は少し保留しておく。