これは40年前、本当にあった話です。
余市の診療所で一人の老人が、喘ぎ々々、血を吐きながら、入党願いを書きました。
書きました、といってもほとんど職員が口述筆記をしたのですが…

硅肺の患者さんで菊池さんといいました。
外来ではおとなしい患者さんで(大体、労災の患者はやかましい)、でも会議には必ず参加して、決まったことはしっかりとやってくれました。

どうして民医連の診療所に通うことになったのか、知りませんでした。後から聞くと、鉱山では会社派だったようです。

余市の奥には、むかし銀山があって、銀はまもなく採れなくなれましたがマンガンが見つかり、戦後の一時期はだいぶ大掛かりに採掘していたようです。職員・工夫合わせて数千人が働いていたそうです。

鉱山の労働運動は大変荒っぽく、昨日までやくざだった連中が突然赤旗を振って、会社に押しかけて団交を強要するという具合でしたから、どっちがどっちとは言い切れないところもありました。

こういう連中は景気が悪くなると風を巻いたように飛び出して行きますから、最後まで残ったのが「会社派」ということになります。

菊池さんは町役場の裏に建てられた町営住宅に住んでいました。そこから診療所まで自転車で通っては、吸入をかけたり注射をしたりしていました。

見たところ普通のおじいさんですが、レントゲンを撮ると肺一面に大小の硅肺病変が花盛り、「どうしてこれで生きていられるの?」というくらい、ひどいものでした。

良いときは2,3坪の家庭菜園でなす、かぼちゃなど作っていましたが、冬の初めに風邪をひいて以来、一気に病状が悪化しました。咳がいつまでたってもとれず、そのうち痰の量が増えて、黄色い汚い痰が口から溢れるように出てきます。

痰の検査で結核でないことが確認されたので、入院してもらい、当時無敵の抗生物質とされたケフリンの点滴を毎日続けました。病状はいったん持ち直したのですが、今度は喀血が始まりました。

息切れは日に日に強まり、当時としては手のつけられない状況に陥りました。

その頃のことです。

職員があることに気づきました。菊池さんが診療所に備えつけの「赤旗」を一生懸命読んでいるというのです。

呼吸器の病気の苦しいのは夜です。一晩中苦しみます。しかし朝起きてから昼頃までは、どういうわけか症状が軽くなるのです。

その貴重な時間を使って赤旗を読むというのはすごいことです。その職員は「入党資格は十分にある」と主張しました。
ほかの職員は、ずいぶんためらいましたが、「とにかく肝心なのは本人だ」ということで、思い切って入党を勧めたのです。

返答は、すばらしいものでした。
「党員として死にたい。党員として死ねるなら、悔いはない」

それからまもなくの朝、菊池さんは突然大量の喀血を起こしました。私が駆けつけたときにはすでに意識はなく、それから30分後に死亡を宣告しました。

党員証は間に合いませんでしたが、私たち職員一同は党員として棺を送り出しました。