梅津和郎さんの「中近東現代史」から抜書き。これにネットからのネタをいくつか追加しました。
http://www.geocities.jp/keropero2003/syometsu/yemen.html
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1839年 イギリスがアデンを占領。さらに隣接する地方の首長国を保護領とした。

1918年 トルコからイエメン王国が独立。これは北イエメンに相当。アデンを中心とする南部は英領のまま。
 
1958年3月8日 イエメン王国、アラブ連合共和国(エジプト、 シリア)とアラブ連合を結成
。アハマド王はイギリスから南イエメンを取り戻すことをナセルに支援してもらおうと、アラブ連合に加わった。しかしエジプトの影響で北イエメン国内でも民主改革の要求が高まると、61年にアラブ連合を脱退した。

1962年9月26日 王制が打倒され、イエメン・ アラブ共和国が成立する。その後もサウジアラビアに亡命政権を作った王国派と70年まで内戦が続く。


1963年5月 ナセル主義を掲げる「アラブ民族主義者運動」(ANM)の南イエーメン支部、ほかの8団体と連合し「占領下南イエーメン民族解放戦線」(NLF)を結成。NLF書記長にはカタン・アル・シャビが就任。エジプトとのパイプ役を務める。
人民社会党(アル・アスナージェ書記長)など社会主義者はこの運動に加わらず。平和的手段による独立の道を追求する。

10月 民族解放戦線、「革命宣言」を発表し武装闘争に入る。エジプトがこれを支援。奥地の首長勢力はイギリスと同盟し、傭兵部隊をもって解放戦線と対決する。

63年 首都アデンでは、共産主義者の都市ゲリラ「人民民主同盟」(PDU)が反英闘争を展開。NLFとは一線を画す。

1965年6月 民族解放戦線、北イエーメンのタイズで第1回全国大会を開催。エジプトをアラブ民族主義の指導者として賞賛する。また土着ブルジョアジーの進歩的役割を否定し、民族革命を社会主義革命に転換する戦略を打ち出す。「民族憲章」では、職業的軍隊に代え、人民革命軍の創設をうたう。

1966年1月 NLFの一部指導者と人民社会党が連合。「占領下南イエーメン解放戦線」(FLLOSY)を結成する。

10月 エジプト政府、カイロ駐在のNLF書記長カタン・アル・シャビを拘留。現地のNLFはこれに代わる執行部を選出。エジプトおよびANMとの絶縁を宣言する。

1967年11月 NLF、首長勢力との闘争に勝利。イギリス軍は南イエーメンから撤退。NLFは「南イエメン人民共和国」の成立を宣言。カタン・アル・シャビが大統領に就任。

1970年 憲法で「マルクス・レーニン主義に基づく社会主義国家」と規定して、国名をイエメ ン人民民主共和国と改称。南イエメンはソ連の衛星国となり、、アデン港はソ連海軍の拠点と なった。

1978年 NLFが他の政党を吸収してイエメン社会党を結成。イスマイルが書記長に就任し一党独裁体制を強化する。

1986年 イスマイル書記長、病気療養のため辞任し、ソ連に渡る。これに代わったナシル書記長は、北イエメンやサウジアラビアとの関係改善を図る。これを不満とするイスマイル書記長が帰国し、内戦となる。1万人の死者と6万人の難民を出す激戦の後、ナシルは北イエメンへ逃亡。イスマイルも「失踪」して、新たに書記長となったベイドが権力を握った。

なお、ネットでは The Struggle for South Yemen という本が Google Books で抜粋で読めます。

ただし、あまりの大部で手が出ません。興味のある方はどうぞ。