しかし、それだけか? アメリカのビジネス界とは拮抗関係が主体で、そこには従属関係はないのか?

むかし、学生時代に共産党の綱領を学習すると、「わが国は軍事的、外交的、経済的…にアメリカに支配された、事実上の従属国である」という規定があって、けっこうこの点は叩き込まれたものだ。

経済的従属というのは、
①日本石油のような直接の資本支配。
②さまざまな技術ライセンスにおける支配
③基幹食料における支配
などさまざまあって、「なるほど」と納得させられたものだった.
しかし、現在ではこのような従属関係はほぼ消失していると見てよい。第一、経済規模そのものが桁違いだ。むしろ多額の連邦債購入でアメリカ経済を支えているとさえ言えるほどだ。

それにもかかわらず、産軍複合体を構成する超巨大産業への劣位と従属が続いていることも間違いない。原発の原子炉はすべてライセンス生産だ。飛行機一つ飛ばせない。

これは結局、日米構造協議の評価に結びついてくるのであるが、こうも言えるかも知れない。
日本は70年代の後半あたりで、ほぼ完全な経済自立を果たしたが、さらなる対米輸出と経済成長のために、自発的に従属経済の深化の方向を選択した。
同じ論理によって平和の道を捨て、例え戦争に巻き込まれようと、米軍の共犯者となろうと、米産軍複合体との癒着を進める道を選択した。

これはある意味で能動的な選択である。経済原理に迫られての必然的な選択ではなかった、ということになる。

綱領論争のときにも、こういう意見はあった。しかしそれは「非弁証法的である」として退けられた。

しかし弁証法的であろうとすれば、逆に東京タワーが建った頃の従属論を絶対視するのもおかしな話だ。
戦後の経団連の対米従属の歩みを回顧するのも大事な作業ではあるが、もう少し原論的なレベルでの検討が必要なのではないだろうか。