イラク問題と山崎拓

あらためて、イラク開戦時の状況を確認してみた。私の年表では、山崎拓は自民党幹事長として4回登場する。

2002年

8.04 自民党の山崎拓幹事長,「国連決議があるかどうか,国際テロと深く関係があるのかどうかがギリギリの条件だ」と述べる.

8.29 自民党の山崎拓幹事長,「単独行動は世界中の対米不信を買うことになる.われわれ同盟国としては単独行動には反対すべきだ」と述べる

11.08 ダグラス・ファイス米国防次官が訪日.石破防衛長官や自民党の山崎幹事長らと会談.米軍のイラク攻撃について日本の理解を求める.同次官は,アル・カーイダとイラクの「深い関係」を繰り返し強調.山崎氏は「日本のイラク対応は,米同時テロとの関係がはっきりしないと,現行法制では米軍に協力できない」と応える.

2003年

2.15 自民党の山崎拓幹事長,「新しい国連決議を取り付けようという米英の努力について,日本も外交努力を展開すべきだ」とし,武力攻撃容認の新決議採択に同調する立場を示す.

とくに11月8日の発言はすごい。国防次官がわざわざ日本までやってきて、侵攻作戦の必要を“繰り返し強調”したにもかかわらず、「協力できない」との断固たる表現は、当時にあっても突出している。

しかもダグラス・ファイスというのは当時肩で風切るネオコン族(超保守主義者グループ)のトップランナーだった人物である。

少し時系列で見ておこう。

ブッシュがイラク開戦に動き始めたのは02年初めからである。5月にはアーミテージが訪日し防衛長官にイラク攻撃への賛成を迫った。このとき中谷長官は「米国が国連と違う行動をすれば,後押しするわけにはいかない」と述べたという.

8月にはアーミテージがふたたび訪日。今度はもろに小泉首相に迫った。このときの小泉の反応は不明だが、これに前後して山崎が党幹事長として「国連決議があるかどうか,国際テロと深く関係があるのかどうかがギリギリの条件だ」と述べており、おそらく日本政府の意見を代弁したものと考えられる。

いずれにせよ、小泉首相にまで直談判に及ぶということになれば、日本政府としても態度を明らかにしなければならない。おそらく鳩首協議した結果であろうが、8月末から9月はじめにかけて二つの談話が出た。

ひとつが、山崎幹事長の発言、「単独行動は世界中の対米不信を買うことになる.われわれ同盟国としては単独行動には反対すべきだ」というものであり、もうひとつが宮沢元首相のインタビューである。

宮沢は「フセイン政権を打倒しても問題は片付かない.民主的な平和政権を建設しなければ目的は達成できないが,それは米国一国ではできないほど時間も金もかかる」と述べている。

「忠実な番犬」と信じていた日本の政権幹部の発言は、アメリカに相当深刻な影響を与えた可能性がある。

その後、国際的に追い詰められたアメリカは「発狂」する。ネオコンが政策決定の中枢を握ってしまう。

9月20日にはあらたな「国家安全保障戦略」を発表した.これまでの「封じ込めと抑止」から、ネオコンの主張する「先制攻撃」への戦略転換が基軸となった.

それはイラク侵攻作戦の秒読みが始まったことも意味していた。

これにもとづいて、対日圧力が強まる。小泉首相が「米国が国際法を破るはずがない」との言語明瞭・意味不明な国会答弁を行ったのもこの頃のことである.

そのなかで飛び出したのが「協力できない」発言である。この発言が後に命取りとなったことはまず間違いないであろう。

前後して会見した石破防衛長官らがどういう反応を示したのか不明だが、事実は、山崎発言とは逆の方向に動き始める。

12月初めには、インド洋へのイージス艦派遣を正式決定した.「護衛艦のローテーションであり,艦艇内の居住性と調査能力を配慮した結果だ」と説明されたが、真実はアーミテージが語っている。

「小泉首相の傑出した指導力によるものであり,深く感謝する」

つまり、小泉はこの時点で、方針を変更しアメリカへの無条件・全面協力に転換し、その方向で慎重派を押し切ったのである。

12月16日には日米両政府が安全保障共同声明を発表し、イラク問題での日米の行動緊密化を確認した.いまや舵は定まったのである。

これを知ったイラクのラマダン副大統領は、「日本は米英に次いでイラクに敵対的な態度をとっている」と語った。それだけこの決断は当時の国際環境の中で突出していたそいえる。

明けて03年1月には「イラク攻撃が始まれば,難民支援策として資金提供する」との意向を表明した。つまりは資金面でイラク戦争を支えるという意思表示である。

これがのちにアーミテージの“Boots on the ground”発言に結びつくことになる。一度屈服した日本政府は、さらなる圧力への抵抗力を失っているはずだ。それは戦場の鉄則、「溺れた犬は叩け」作戦だ。

ここではしゃいだのが外務省だ。MOFAは米国務省=アーミテージの伝達機関となった。

まず加藤駐米大使が,「日米関係がイラク問題への対応を考える基盤だ。武力攻撃が発生した場合は,日本はまずその立場を表明すべきだ」と述べた.

同じ頃、毎日新聞が外務省幹部の小泉首相に対する“進言”を報道している.

「米国がイラク攻撃を始めたら,『支持する』と言ってください.それで日本の仕事の8割は終わりです」

犬の調教としてはふさわしい言葉だ。

これを受けて2月10日には、川口外相,国連新決議あれば米国の攻撃支持すると明言した.まさに「ワンッ!」だ。

久間はすでに防衛長官を外されていたが、こう語った。

「外務省は,“米国の外務省”みたいなものだ.日本は米国の何番目かの州みたいなものだから,米国を離れて,日本は何もできないわけだ」

公明党は機を見るに敏で、さらに跳ね上がった。「米英が安保理決議なしにイラク攻撃に踏み切っても,これに対する日本の支援を容認する」との方針を決定し、忠義を売り込んだ。

冬柴書記長の「戦争に反対するのは利敵行為」発言は、こうした“道化師”としての文脈からとらえられる。我々は冬柴発言のまさに当日、世界約60カ国の約600都市で1000万人を超える史上空前の反戦デモが行われていたことを忘れてはならないだろう.


最初の週刊文春の記事は02年3月に報道されている。29歳美人OLとの不倫だ。これが実は勝共連合のマタハリだったわけだ。(マタハリ分かりますか?昔の有名な女間諜です)

次いで4月には、福岡のホステスとの醜聞を報道した。この時点ではそれで終わっていた。

しかし攻撃が本格化するのは翌03年4月で、まずは福岡のホステスが実名で登場した。見出しも「変態行為」とのどぎついものだった。同時にホステスの「自著」も発行された。中身はそれこそアダルト雑誌の切抜きだった。

このホステスは日本外国特派員協会で記者会見までやった。相当の影響力のある人物がプッシュしたとしか考えられない。

8月の週刊文春には「女優の鈴木京香さんに似た30代前半の美人女医A子さん」へのレイプ未遂が報道された。

これらの攻撃は、その年に行われた総選挙を目掛けたもので、見事に作戦は成功。山崎は落選の憂き目を見た。