トゥアレグ分離闘争の歴史

もともと黒人が大ガーナ王国を立てていたが、11世紀頃になると、交易を目的としてアラブ人が入り込み、やがてベルベル人が支配するようになった。トゥアレグ族はベルベル人の支族である。トゥアレグ族は「砂漠の支配者」と呼ばれるほどの権勢を誇っていた。

13世紀になるとマリ帝国が興隆。その後ソンガイ帝国へと続き、約300年にわたって栄えた。

16世紀にはいると西洋諸国の海上貿易がさかんとなり、内陸部のサハラ交易ルートは衰退した。帝国は崩壊し、小国が乱立するようになった。

1892年にフランスの植民地となり、フランス領スーダンと呼ばれた。

1958年、フランス領内の自治国スーダンとなる。1960年6月にはフランスから独立し、隣国のセネガルと共にマリ連邦を結成した。しかしまもなくセネガルが連邦から離脱し9月にマリ共和国と国名を改めた。モディボ・ケイタ大統領のもとで社会主義政策が推進された。

1962年には第1次トゥアレグ抵抗運動が始まり、2年間にわたり続いた。

1968年、社会主義政策は行きづまり、ムーサ・トラオレのクーデタが発生。その後長い軍事独裁体制に入る。

1973-4年 サハラ砂漠南縁のサヘル地方を大飢饉が襲う。家畜は死に絶え、若者たちはアルジェリアやリビアの大都市に移住。カダフィ政権の下で「イスラム軍」(Islamic Legion)と呼ばれる傭兵部隊に加わる。

カダフィはアフリカ合衆国を唱え、アフリカ諸国の貧しい労働者を迎え入れ、軍事訓練を施すなどしていた。また70年代にはトゥアレグの武装闘争を支持していた。ただし、カダフィはマリ政府そのものにも多額の援助を行っており、カダフィの死後も政府系の建物にはカダフィの肖像が飾られているという。

1979年に民主化運動が成功し、単一政党マリ人民民主同盟が結成された。選挙によって大統領が選出されたが、クーデターが起こりふたたび軍事独裁の時期を迎えた。

1984-5年 サヘル地方を再び旱魃が襲う。トゥアレグ族は度重なる干ばつにより貧困にあえぐようになった。

1990年6月 北部ではトゥアレグ人が分離を目指す武装闘争を開始。リビアがこれを支援。刀剣や古いライフル銃はカラシニコフ銃に、らくだは四輪駆動車へと交換。

91年3月 トゥーレら青年将校がクーデターによりトラオレ独裁政権を打倒。

1991年に暫定政府が発足。複数政党制が導入される。

1992年 憲法を制定。大統領選挙が行われた。トゥーレが大統領に就任。

92年 ニジェールのトゥアレグ人が武装闘争を開始。

1995年 リビアが原油価格の下落で経済破たん。トゥアレグへの援助も杜絶する。トゥアレグ人たちは故郷への帰還を余儀なくされる。

1996年 トゥアレグ人は政府との和解、武装解除に応じる。戦闘員の多くは政府軍などに組み込まれ、トゥアレグの自治権は拡大される。5年間の闘争で死者は数百人、避難民は数千人にのぼる。

2006年5月 トゥアレグ族武装組織、アルジェリア・ニジェール国境付近でマリ政府軍を攻撃。政府軍10人が死亡する。指導者イブラヒム・アグ・バハンガは「5月23日同盟」の結成を宣言し、武装闘争を再開。

2007年2月 ニジェール領内に暮らすトゥアレグ人が「正義のためのニジェール運動」(MNJ)を結成し反政府武装闘争を開始する。背景にトゥアレグ人居住地域のウランの権益。

09年3月 マリのトゥアレグ人武装組織、政府軍兵士20人を拉致する。身柄をMNJの管理下においたと述べるが、MNJ側は報道を否定。

2009年 トゥアレグ族の武装抵抗が終結。

2011年 リビア内戦。トゥアレグ人はカダフィの最も強力な部隊として市民と対決。敗れた後は大量の武器を持ってリビアから脱出。「リビアから千人以上を超えるトゥアレグ人傭兵が、数百台の4輪駆動車に多くの武器を積んで帰ってきた」との報道がある。

10月 アザワド解放国民運動(MNLA)が結成される。蜂起に向けた準備を開始。

2012年

1月17日、MNLAはマリ共和国政府に対する反乱の開始を宣言、「バマコ(マリ共和国の首都)がこの地域を別個の存在と認めない限り継続する」とした。

1月 MNLA、アルカイダと組んで三度目となる武装闘争を開始。アザワド地方と呼ばれる北部三州(gao,toumbouktou,kidal )で作戦を開始する。最大で3000人程度の兵士を有していると推測され、貧弱な武装の政府軍を圧倒。

マリ北部のトゥアレグ族 休戦を宣言

2月 マリ北部キダルで激戦が展開される。北部住民約26万8000人が、マリ国内の他地域や隣国へ避難。

2月22日 キダル郊外のトゥアレグ族キャンプが政府軍の空爆を受ける。女児1人が死亡、11人が負傷。

3.11 MNLA、アルジェリア国境の要衝テッサリトを掌握し砂漠地帯から政府軍を駆逐。

3月 政府軍内部から不満が噴出。軍事クーデターを招く。

3月21日 一部の国軍下士官・兵士らが騒乱を起こし,国営TVラジ オ局を占拠,大統領宮殿を襲撃。

3.22午前4時45分 反乱軍、テレビで声明を発表。「国を守るた めの武器の不足」および政府がテロと戦う上で「無能」だとの理由で行動を起こしたと説明。軍事政権は「国内の統一と領土の保全が再建でき次第ただちに、民主的に選ばれた大統領に権力を回復することを厳粛に約束する」とのべる。

3.22 反乱軍兵士が国家の指揮権の掌握と憲法停止を発表。「民主主義再建・国家復興のための国家委員会(CNRDRE)」を結成する。CNRDREのリーダー、サノゴ大尉は「軍はまともな武器も訓練も受けていない。リビア帰 りで重装備の反政府勢力と戦うのは自殺行為だ」と語る。(朝日新聞=ベリタ)

3月31日 反乱軍を率いるサノゴ大尉、市民の犠牲を避けるためガオでの戦闘停止を決めたと表明。ガオからの撤退を開始。。

4月1日、MNLA、北部ガオ州の州都で政府軍の拠点であるガオを掌握。トンブクトゥへの攻撃を開始。

4.02 MNLA、伝説的な砂漠都市トンブクトゥを掌握したと発表。(同日、アンサル・ディーンもトンブクトゥ制圧を発表している。作戦がガオと同時並行で進められていることから、役割分担があったか、アンサル・ディーンが抜け駆けを行ったものと思われる)

Azawad Tuareg rebellion 2012.svg

4.03 ガオでは、アルジェリア領事らが武装勢力に誘拐された。MNLA報道官は関与を否定し、イスラム過激派勢力の犯行だと述べた。

4.04 al arabiya net は、トンブクトゥをイスラム主義の3人のアミール(いずれもアルジェリア人)が支配していると報じる。記事によると、1日にはトゥアレグ独立運動とイスラム主義者の共同だったが、2日にはイスラム主義者が掌握。町には黒い旗(一般的に イスラム復古主義の過激派が使用)が掲げられ、放送ではシャリーアの適用と女性のベールを着用を求める。

4.06 CNRDRE、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の説得を受け、憲法秩序回復に向けた枠組み合意に署名。トラオレ国会議長が憲法の規定に従って暫定大統領に就任。(ECOWASは、西アフリカ地域15カ国から構成される経済共同体)

4.06 「アザワド解放民族運動」(MNLA)アザワド独立宣言を発表する。首都をガオとする。

宣言の骨子: 1960年のマリ共和国独立にアザワドの意向は反映されていない。…50年以上、マリの悪政によって北部の人々の存在が脅かされてきた。…独立以降幾度となく弾圧されてきた。…北部は完全に解放された。…国際連合憲章第1条と第55条(人民の同権及び自決の原則の尊重)を根拠に独立を宣言する。…隣接する国々の国境を侵さないことを確認する。…国連憲章に完全に従う。

4.06 アンサール・ディーン、MNLAによって出された独立宣言を、発表から数時間後に拒否すると発表。シャリーアに基づく法律をマリ共和国全土に確立させると誓う。

4.06 フランスのロンゲ国防相、「アフリカ諸国に承認されていない一方的な独立宣言は、何の意味も持たない」と述べた。

4.15 トンブクトゥでキリスト教宣教師のスイス人女性が武装集団に誘拐される。

5.06 MNLA、「国際社会の呼びかけに応じ、軍事活動を停止させる」と発表。また地域諸国および国際社会に対して「アザワド住民がマリからのいかなる侵略からも安全を保証されるよう」求める。

5月 「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)がトンブクトゥの聖墓を破壊したと発表する。

5.26 MNLAとAQIMとが合同して、独立のイスラム国家を樹立することに合意。

「長年、日本の外交官として中東に深く関与」した人の「中東の窓」というブログに興味深い記事がありました。27日付のal qods al arabi net 紙からの引用だそうです。
アザワド国民解放運動の報道官が、「アルカイダ系のansar al din と合同し、イスラム国家を樹立する」と発表した。
つまり、
AQIM と ansar al din とは同一組織の別称だということになります。そしてガオ州をMNLAが、トンブクトゥ州をAQIM が実効支配しているらしいということです。

5.16 トゥアレグ族武装集団がリビア西南部の町ghadamis を襲撃。住民7名が死亡し、20名以上が負傷。(アルジャジーラによると、彼等はかってカッダーフィ軍に属し、町に居住していたトゥアレグ族で、革命後一時立ち去っていたものが再び戻ってきたもの)

7.05 国連安保理、第2056号決議を全会一致で採択。直ちに敵対行為をやめ,人権・人道状況の回復に努めるようもとめる。さらに、憲法秩序の回復に努力し,マリ領土の一体性を確保するようもとめる。

7月 チャド大統領、「アルカイダはアフリカ全体に対する脅威」とし、国際的介入を求める。

7.29 ECOWAS議長のコートジボアール大統領、マリ共和国への軍事介入を検討。これについてフランスアメリカなどの支持を求める。(仏紙とのインタビュー)