オリンピックは幸か不幸かあまり君が代に接する機会がなかった。
しかし君が代問題は相変わらずだ。
私個人としては、君が代を歌うことにさほど抵抗はない。少なくとも国歌(として国際的にも定着している)であるから起立はする。ゴッド・セイブ・ザ・クイーンを聞いて起立するのと同じだ。国歌に対して敬意を払うということだ。
エチケットとしてはそれで十分であろう。実際に歌うか歌わないかは個人の自由だ。大阪の口パク事件には唖然とする。

以前こういう事件があった。
エリア・カザンという映画監督がいて、アカデミー賞の特別功労賞を受賞した。この人にはハリウッドの赤狩りの時代に仲間の監督や脚本家、俳優を赤だと密告した暗い経歴がある。受賞にあたり司会者は参会者の賞賛をもとめたが、何人かの人々は起立を拒み、さらに何人かは拍手を拒んだ。当然のことながら会場はシラッとした。
翌日の新聞は、起立や拍手を拒んだ人たちを非難はしなかった。
なぜか、マスコミはかって赤狩りの時代にそういう人々を断罪し社会から追いやって、自らも辛い思いをしたからだ。

日本のマスコミはもっと辛い思いをしている。聖戦へと国民を駆り立て、数百万の人々を死に追いやり、国土を焼け野原にしたからだ。そればかりではない、中国・アジアでそれをはるかに上回る人々を死に追いやったからだ。
そのときの殺し文句は「非国民」だった。

だから「非国民」呼ばわりの非難が登場すると、キッと身構えざるを得ないのだ。とくにそれが少数意見に対する数の暴力として出てくるときは絶対に擁護しなければならないと思う。たとえそれが自分の意見とあわないとしてもだ。