アメリカにおける Welfare とニューディール

名古屋大学の東方淑雄さんは「社会福祉に関する経済学論争史」という長大論文の中で、ニューディーラーとWelfare の関係について物語風に語っている。

ニューディール時代のアメリカでは、大恐慌という未曾有の経済的危機に際し,その危機の本質はなにか,いかに克服すべきかについて真剣な議論が交わされた。かれらは1936年に刊行されたケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』を精力的に学んだ。

そしてニューディールこそがまさにケインズ理論を実地に推進しているという認識にいたった。

かれらはニューディール政策とケインズ理論の両者が資本主義体制(市場)の欠陥を政府が役割を担って克服し,資本主義の性格まで変えてしまったと考え、これをケインズ革命と呼ぶようになる。

1938年,ハーバード大学のエイブラム・バーグソンは、『厚生経済学の再構成』で、ニューディールの正統性をケンブリッジ学派の経済学理論によって論理的に裏付けようと試みた。社会福祉というタームは“Social Welfare Function”なる論理としてこの論文にはじめて出現した。

これはピグーが1920年に著した『厚生経済学』を再評価し、Welfare を社会機能の一つとしてとらえ再構築したものだった。バーグソンは厚生経済学の理論的領域においてケインズ理論の敷衍化を成し遂げたとされる。

それは端的にいえば「政府がある政策を施行した結果,社会の一部に損失を生じても,全体の利益が損失額を超えるならば,その政策決定は肯定される」というプラグマチックな論理を挿入することによって、ピグー理論への批判を回避・克服させたものだった。

そして社会の成員各人それぞれの利益の増大させつつ,なおかつ全体の利益も均衡的に増大するように、政府が経済政策を明確な論理をもって決定する行為 を是とした。その明確な論理 が「社会福祉関数」とと呼ばれた。

Social Welfare という言葉はバーグソンの造語であり、ピグーもほかの厚生経済学者も用いておらず、アメリカ独特のものであった。

第二次大戦後には、学会において社会福祉関数理論は「Welfare は本質的に個人的なものである」との批判にさらされ無力化した。その内容は同僚サミュエルソンが「公共的意志決定(あるいは社会的選択)」として理論的に整備して受け継ぐことになる。