大谷さんの「ザスーリッチへの手紙」についての考察は、「生産の社会化」に的を絞ったかなり特殊なものであり、全体像が分かりにくかった。ネットで文献をあさったところ、北大の佐藤正人さんが、全体像を分かりやすく説明してくれていたので要約して紹介する。

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31253/1/22%284%29_P207-246.pdf

『ザスーリチの手紙への回答」およびそれの『下書き』考

佐藤正人

 

I はじめに

マノレグスのヴェラ・ザスーリチへの手紙(1881年3月8日付け)は、その内容の重要性や公表経過の異様性などから注目を浴びてきた。

この手紙が発見されたのは1923年だった。そして1924年「革命運動資料』誌上に公表された。

いっぽう、この手紙の「下書き」はすでに1911年、リヤザノフによって発見されていた。手紙の重要性が確認されたため、手紙と「ザスーリチからマルクスへの手紙」とセットにして1926年に公表された。

この手紙と下書きは、戦後になって脚光を浴びた。

第一に、それはアジア的生産様式をめぐる論争の典拠となった。

第二に、それは後進国における「非資本主義的発展の道」の理論づけとして注目された。

第三に、それはロシア社会論,ロシア革命論をめぐる論争の典拠となった。

だが,このように広汎な議論の対象にあげられながら, 「手紙」自体に対するテキスト・クリティークはほとんどなされてこなかった。そして多くの人は『手紙』と『下書き』とを同一視してきた。

あのように広範囲で複雑な問題を扱った4つの草稿が、なぜあのように簡単な抽象的内容の『手紙』にまとめられたのかも不明である。手紙で省略されたさまざまな命題は抹消されたのか、政治的配慮から省略しただけなのだろうか。

 

Ⅱ 下書きと手紙の内容

1 ザスーリッチからマルクスへの手紙

この手紙は1881年2月16日にザスーヲチからマノレタスに宛てて出されたものである。

*「資本論jがロジアで人気を集めている。

*資本論がロシアの運命について与えている解答をめぐって2つの解釈がある。

*ひとつは農村共同体は死滅する運命にあり,都市労働者を基盤とすべきだというものである。かれらはマルクス主義者だと自称している。

*もう一つの主張は、農村共同体は社会主義的軌道の中で発展でき,革命的社会主義者は共同体の解放とその発展のために全力を捧げるべきだとするものである。

*「わが農村共同体のありうべき運命についての, また世界のすべての国が資本主義的生産のすべての段階を通過することが歴史的必然であるという理論についての, あなたの考えを述べて」欲しい。

2 第1草稿

第1草稿は,他の草稿に比べて最も長文であり, マルクスによって5つの節に分けられている。

第1節

『資本論』の原始的蓄積論はロシアに適用できない。

第2節

共同体滅亡の歴史的宿命性は、“純粋に理論的な見地”からみて正しくない。

農耕共同体にふくまれる私的所有の要素が打ち勝つか,それとも集団的要素が打ち勝つかは、それがおかれているこの歴史的環境に依存する。

ロシアの農耕共同体は集団的生産の要素として発展しうる。西欧の資本主義制度が危機にあるからだ。

第3節

ロシアの農村共同体には有利な条件がある。しかし不利な条件もある。

第4節

ロシアの共同体の苦難の歴史。

第5節

共同体を崩壊させる動きが始まりつつある。ロシアの共同体を救うには革命が必要である。それが成功すれば、共同体はロシアを再生させる要素として発展する。

3 第2草稿

やはり5つの節に分けられている。第1節は,第1草稿の第1節とほぼおなじ。

第2節は,ザスーリチの書いてきたロシアのマルクス主義者について、自分は知らないと述べている。

第3節は,第1稿の第2節の前半とほぼ同じ。

第4節は,第1草稿第3節に述べられたことがコンパクトにまとめられている。

第5節は,第一草稿の第4節,第5節で分析されたロシアの現実の事態が簡単に述べられる。

4 第3草稿

第3草稿は,短い前書きと2つの節から成っており,途中で中断されている。

第1節は,第1草稿第l節と同じ。

第2節は,第1草稿第2節と第3節にあたる。第1草稿で重複していたことが整理されている。

ロシア共同体の弱点である局地的小宇宙性と地主的土地所有は、ロシア社会の全般的運動・全般的震撼のなかで,取り去ることが可能だとされる。

しかしロシアの共同体が発展しうる現実的可能性は、述べられずに中断されている。

5 第4草稿

この草稿は手紙とほぼ同じ内容で『資本論」からの引用が省略されている。

6 「手紙」本文

本文でマルクスは,「資本論」の原始的蓄積論において展開されている議論は西ヨーロッパに限定されたものだとしている。

したがって農耕共同体の生命力については直接言及していないことを確認する。

ついでこれまでの草稿の分析を省略した上で、自らの確信のみを明らかにする。

この共同体は口シアにおける社会的再生の拠点である。しかしそれが機能するためには共同体を襲う有害な影響を除去し、発展の諸条件を確保することが必要である。

以上見てきたように,共同体発展の《理論的可能性》はあるが、現実的可能性については各草稿で全くニュアンスが異なっている。

 

Ⅲ 手紙をめぐって

1. 「手紙』簡略化の理由

マルクスのザスーリッチ宛の手紙を最初に発見したのは、B.ニコラエフスキーというひと。彼はいきさつをこう語っている。

マルクスは「人民の意志」派 の闘争を支持していた。したがって「総割替」派のザスーリチに回答を送ることをためらった。

当時ザスーリッチは、ベテルブルク警視総監の暗殺計画を通じて全世界の注目を集めていた。だからマルクスは彼女の手紙への返事を出さずにはいられなかった。

しかしマルクスは最大の自制心をもって,簡潔に,控えめに答えた。

それに対しリヤザノフはニコラニエフスキーに反論した。マルクスはすでに研究能力の低下を来たしていた。それは草稿の中に痕跡が見いだされる。

協同組合的生産と共産主義的所有が西欧において資本主義の後に来る社会の特徴、という記載には大谷先生も首をかしげている。

佐藤さんは、リャザノフの意見には与しない。その根拠として第三稿の前書きを読み込む。

あなたの手紙が提起した諸問題を根本的に論じるためには、緊急の仕事(資本論第2巻、第3巻の仕上げ)を中断しなければならないでしょう。

マルクスは凝り性なので、これを始めるときりがないということを感じたのだろう。第一草稿で立てた論立てにはいくつかの欠けたところがある。しかも、そこは相当重要なポイントだと感じたのであろう。

2. 「手紙』を受けとった側

このように重要な内容をもっている『手紙』は, 40年以上もの間埋もれていた。

リヤザノフは次のように書いている。

私は,プレハーノフに手紙を書いて,ザスーリチの手紙に対するマルクスの回答がないかどうかを間合わせた。ザスーリチに対しでも第3者を介して間合わせたが、いずれも否定的な返事だった。

なぜこうなったかというと、ザスーリッチへの手紙でマルクスが「数カ月前に同じ問題についてペテルブルク執行委員会に執筆を頼まれている」と書いたので、そちらに論文が載るものと思ったからのようである。

マルクスは書くだけの材料を持っていた。尾大なロシアの現状分析と古代社会についてのノートがあった。それは「1861年の改革と改革後のロジアの発展についての覚え書」と題されていた。


3.「1861年の改革と改革後のロジアの発展についての覚え書」

2年後の1883年3月14日,マルクスはロンドンで亡くなった。

マルクスはその晩年に,完成が急がれていた『資本論』のためとは言い切れないほど膨大なノートを作っていた。それは一つはロシアの現状分析であり、もう一つは古代社会についてのノートだった。

特に, 1881年終りから1882年初めにかけては, 1870年代はじめからマルクスによって研究され蓄積された1861年の農奴解放とそれ以後のロシアの発展についての重要な資料の体系化が行なわれている。

この体系化のためにマルクスは,スクレピツキーやチェノレヌイシェフスキーの著作を再度読みなおすなどしている。

この体系化された草稿は, 「1861年の改革と改革後のロジアの発展についての覚え書」と題されてアルヒーフに収められている。


つまりマルクスはザスーリッチへの手紙にかなり詳しく展開しようと思っていたが、その内容が不十分と見て、「下書き」を破棄して、その中身を、「覚え書」に受け継いだものと思われる。しかしそれは未完成に終わった、ということのようだ。

それはそれでよいのだが、マルクスの未来社会のイメージは相変わらず見えてきませんね。