ヴェラ・ザスーリチ宛ての手紙の三つの草稿(1881年)

「ヴェラ・ザスーリチ宛ての手紙」というのは、手紙とは言いながら、実際には経済・社会共同体について言及した有名な論文である。しかしそこには首肯しかねる内容が含まれている。

大谷先生によると、この手紙には二つの草稿があるそうだ。大谷先生はこの第一、第二草稿と、本文とを読み比べて、マルクスの思考過程の進化を跡付けている。

生産手段の社会化について

第一草稿でマルクスは,共同体の「原古的な原型」について,以下のごとく語る。

より原古的な諸共同社会では,生産は共同で行なわれ,ただその生産物だけが分与された。…この協同的ないし集団的生産の原始的な型がそのようなものであるのは,「孤立した個人の弱さの結果」だったのであり,「生産手段のsocialisation」の結果ではなかった。

この生産手段のsocialisation というのは、資本主義社会にとって代わるアソシエーションの特徴である。ポスト資本主義の時代には新たな共同体が出現するが、それは孤立した個人の弱さがもたらすのではなく集団として連帯する諸個人の強さのもたらす共同体 となるだろう、と読みこむことができる。

第一草稿では

資本主義的生産制度は危機のうちにある。この危機は,この社会制度の消滅によってのみ終結する。そして近代社会は「原古的な」型の高次形態へと復帰していくだろう。

とあって、「原古的な」型の高次形態を説明するものとして、最初の記載では「共同所有」のみを挙げた。次いでこれを「集団的な所有および生産」と書き換え、さらに「集団的な生産と取得」と書き直している。

さらに第二草稿では

資本主義的生産が最大の飛躍をとげたヨーロッパおよびアメリカの諸国民のただ一つの願いは,協同組合的生産をもって資本主義的生産に代えることである。そして所有の原古的な型の高次形態すなわち共産主義的所有をもって資本主義的所有に代えることである。

と書き込まれた。

この後、大谷先生の解説はやや晦渋になるが、生産協同組合や「共産主義的所有をもって資本主義的所有に代えること」に限定するのは狭すぎるのではないか、との疑問を呈しているように見受けられる。

そして「生産手段の社会化」と「労働の社会化」を一つの流れの両側面としてとらえ、資本主義の底流として位置づける方向を示唆している。ここでいう生産手段の社会化とは生産の社会化と同義であり、資本主義の発展に伴う共同的生産手段への転化と、生産手段の集中である。