利潤率低下法則と労働価値論という論文を鈴木明さんという人が書いている。

剰余労働がゼロになっても利潤は存在しうるという禅問答みたいなことをやっている。オートメーションでボタンさえ押せば製品がざくざくと出てくるという場面を想像しているようだ。

これでは商品にならない。たとえば究極のオートメーションというのは野山に自生する柿とか夏みかんとか山菜などと同じであり、元は誰かが植えて販売していたものかもしれないが、現在は商品ではない。

それを「道の駅」まで持ってくるという「労働」を加えれば、それは商品となり利潤を生む。

もう一つ、剰余価値ゼロまでいく商品というのは、現実の商業世界ではありえないことだ。それは無限大に生産しても、需要が無限に続くことを前提としている。しかしその前に需要が飽和するはずだ。だから業態として成り立たなくなる。

数理経済学というのは、そういうことを考えなくてもいいんだ、ということのようだが…


マルクスはこのことを強調して、利潤率の低下が生産過剰による恐慌へ結びつくと考えたのだが、さすがにそれは強弁だと思う。
ある製品の普及は絶えず改良を生み出し、新たな、より高度な欲望を生み出す。それは旧製品の淘汰をもたらし、いまの設備をパアにする。
マルクスの言葉を借りれば、消費(と余暇)が新たな欲望を生産するのだから、
そして欲望の生産こそが生産力の発展の最大の推進力なのだから、それを抑圧するようなシステムを作り出すことが、資本主義の最大の問題だろう。