評論の世界にはずいぶん、「国際通」がいる。外務省サイド、通産省サイド、財務省サイドそれぞれに多くのタレントを輩出し、一家言を持っている。
しかしこれらの人々がドルに代わる基軸通貨や、ギリシャ政策の転換や、トービン税などについて肯定的に語るのを聞いたことはない。
結局のところ、激動する国際情勢の中で、日本はどう立ち回ればよいか、ということしか念頭にない。
しかしそれはナイアガラの滝から落ちようというとき、どれだけ最後まで落ちずに粘れるかというタクティクスでしかない。
ドル基軸論は、たしかに正しいかもしれない。だから日米同盟なのだろうし、中国敵視なのだろうし、農民・中小業者切捨てなのだろう。

しかし一年前を振り返ってみよう。リーマンショックから立ち直る暇もなく、東北大震災が襲った。基幹産業と位置づける自動車はそのたびに、生産・販売量を半分にまで激減させた。
ドルはQE2のおかげでジャブジャブになり、連邦債はAAAから転落した。中国はSDR基軸説を打ち出し、ユーロ・元とのバスケットがまじめに検討された。財務省幹部ですら、ドル基軸の堅持は未来永劫のものではないことを認めた。

ではその先に何があるというのだろうか。われわれはその問題にいつまで思考停止のままいられるのだろうか。

ドル基軸体制を維持するということはアメリカ主導のネオリベ政策を維持するということである。しかし今日の経済・金融危機はまさにそのネオリベ政策がもたらしたものではないか。

その先には未来はなく、待っているのはナイアガラの滝壺しかないのではないか。

だから、もう、目先の利害にとらわれるのではなく、ネオリベの次の社会を展望しつつ政策理念を語らなければならないのではないか。

いまやわれわれは、もっと熱く哲学を語らなければならない。「資本移動の自由」を唯一の金科玉条とするのではなく、国民経済そのものを語らなければならない。