ヒューマニスムというのは「人間は分かりあえるものだ」という信念に基づいている。
人間の持っている価値観は一般的には真、善、美、だといわれる。このうち真と善は共通のものを見出しうる。ところが「美」ときたらおよそい一致するものなどない。
異なる美意識が共存したり敵対したりというならまだしも分かる。通底するものがあるからだ。ところがまったくエイリアン的に存在する美意識がある。

たとえば美空ひばりから浪速演歌に通じる流れがある。しいて言えば嫌悪感を感じる。一柳慧とか三善晃みたいな現代音楽がある。雑音としか感じない。学生時代に紛れ込んだジャズ喫茶で聞かされたアートブレイキーとかディジー・ギャレスピーも独りよがりの騒音だ。映画で見せられたレオン・ラッセルのロックはまさに拷問だった。

絵画も映画も基本的には同じだが、音楽ほど暴力的に美意識を押し付けてくるものはない。

そして自らがエイリアンなのか、むこうがエイリアンなのかの選択を迫る。この際「物分りのよさ」は禁物だ。かといって毛嫌いする必要もない。ようは距離感だ。

というわけで、「美学」というのは、わけの分からないへんちくりんな連中との処世法ということに尽きる。「異なる文明」とのアクティブな共存だ。