土曜日に野田首相が記者会見を開き、原発再稼動を宣言した。
いかに要旨を記す。

1.原発再開は国論を二分している。(どう二分されているかは語らないが、おそらく「安全か経済か」ということだと思う)
2.私は「国民生活を守る」のが唯一絶対の基軸だと判断する。(おそらく安全も経済も、ひいては国民のためということだろうと思う)
3.それはまず福島のような事故は決して起こさないことだ。(これは当然であり、きわめて正しい)
4.原子力安全への国民の信頼回復が必要だ。速やかに関連法案を成立させる必要がある(原子力がそもそも安全かどうかが問われているとき、前半部は論理の飛躍だが、原発行政と読み替えるなら、それはそれとして正しい)
5.実質的に安全が確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なもので、今後見直していく必要がある。(ここも前半はウソだが、見直しの方向は正しい)

6.ここから突如発狂する
福島を襲ったような地震、津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っている。万が一、すべての電源が失われるような事態でも炉心損傷は起こらない。

7.このあとのレトリックはさらにすごい。
その間、福井県にも御協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下特別な監視体制を構築する。
大飯以外の再起動は、大飯同様に引き続き個別に安全を判断する。
大飯を再稼動するとは一言もいわずに、再稼動の方針を提示している。しかも大飯のみならずすべての原発の再稼動まで踏み込んでいる。これは一時的でも暫定的でもない原発に対する基本姿勢の表明だ。人をたぶらかそうという魂胆がありありだ。

6.国民生活を守るために安価で安定した電気は欠かせない。(ここから後の言い分はもう滅茶苦茶だ)

7.3割の電力供給を担ってきた原発を止めては、止めたままでは、日本の社会は立ち行かない。(このセリフにはさすがに驚いた。これは未来永劫、原発依存を続けるという宣言としか受け止められない)

8.夏場限定の再稼動では国民の生活は守れない。安全保障の視点からも原発は重要な電源だ。(話は夏場限定の暫定稼動ではなかったんでしょうか。だから勘弁してくれと頭を下げていたんじゃなかったんでしょうか。この人のものの言い方には本質的にずるがしこさを感じます)

9.国論を二分する状況で一つの結論を出す。これは私の責任だ。(責任取れるわけはないから、責任というのではなく「権限」だといいたいのでしょう)


ニュースを聞いた大多数の国民は、怒る前にまず、あっけにとられたに違いない。
何から何までおよそありえない内容だからだ。
これだけアウトフォーカスの内容を平然と語れる神経はどうなっているのだろう。
これだけウソ八百を並べられると、どう反論していいか分からない。
「ウソは大きいほどいい」というが、たしかにこのクレージーさは相手を威圧する効果はある。

9日の赤旗一面を見ると、反対派の人々が、この談話をどう切ったらいいのか分からなくて困っている様子が見受けられる。二面の「主張」では①限定的であることを否定し、恒久稼動の立場を打ち出していること、②自治体首長の「限定」稼動への合意を理由に再稼動を決めながら、限定性を否定するという裏切りであること、③長期のエネルギー政策に関してエネルギー会議に諮問しているのに、その出すべき結論を表明するのは逸脱行為であること、を指摘している。

「エネルギー・環境会議」は政府の諮問機関で、審議目的は「2030年に原発をゼロにするか、15%に半減するか、現状維持かなどの選択を行う」ための組織である。首相が「ゼロ%はありえない」といってしまえば、この会議の意味はなくなる。

これでは足りないと見たか、同じ二面に藤田政治部長のコラムが載せられている。ここでは事故を防止できる対策と体制は整っているというくだり、国民の生活は守れないというくだり、に対する反論が集中的に取り上げられている。内容はこれまで報じられてきたものの再確認なので省略する。
ただ、本線は「主張」のごとく、やはり、野田発言の背信性・欺瞞性・詐欺的論理の批判にある。そして「暫定的」稼動を受け入れてしまった首長たちへの批判にある。さらに各種基準の策定をゆだねられた調査・審議機関に泥を塗るような、国家の意思決定過程への越権ぶりにある。

三面の各界談話は、一般的な再稼動反対論にとどまっている。



そこで、いろいろな人が、どうこの談話を批判しているかを拾ってみた。

最初は一番有名になった国会事故調の黒川委員長の談話。この人は東大を出た後アメリカで20年研究を続けた医学者。youtubeで記者会見をみると、比較的リベラルな合理主義者という印象。

談話の意味は理解できない。世界の先進国のあり方とぜんぜん違うところに行っているのではないか。国家の信頼のメルトダウンが起きているのではないか。

この怒りは、公的な諮問会議が二階に上がってはしごを外された、裏切られたという怒りと相乗されている。国会から委託された独立した調査の報告を何で待たないのか、プロセスが私には理解できない というくだりはそのことを表している。

橋下大阪市長は
「夏季に限定した大飯原発の再稼働でも、十分に関西の府県民の生活は守ることができる。野田首相が守ろうとしていることが本当に関西府県民の生活なのか、電力会社の経営、利益なのか、そこらがちょっと分からない」と、とりあえず再稼働容認に転じたことは横に置いて批判した。(J-cast ニュース)

ずいぶんおとなしい談話だ。本来なら自分が利用されて、裏切られ、顔に泥を塗られたのだから、もっと怒りまくらなければならないはずだが…

橋下市長は、「病院はどうなるのか、高齢者の熱中症対策はできるのか。そう考えると、原発事故の危険性より、目の前のリスクに腰が引けた」と語っている。(讀賣新聞)
それが利用されたんだよ。このままじゃ、野田首相の片棒担いだのと同じだ。

ジャーナリスト・横田一氏のコメントは、お茶の間の感想を代表したものだろう。

この夏が厳しいのであれば、期間限定で動かし、その後止めて、安全基準をきちんとしたものにしてから、再稼働を検討すればいい。
電力会社の無駄を放置して、『国民生活を守るための再稼働』なん て、よくもまあ、こんな屁理屈を言えたものです(日刊ゲンダイ

脱原発弁護団は声明の中で首相の「判断権限」について、その範囲を明らかにしている。

専門家ではない政治家が判断できることは、専門家の判断が信用できない時に原発の運転を止めることである。菅直人前首相が浜岡原発の運転の停止を求めたこ とは正しい。
しかしながら、専門家ではない政治家が安全判断をするようなことは、できるはずもなく、無責任きわまりない。