子供の頃、静岡の駅で列車を待っていると、東京からの夜行列車が停車した。10両編制くらいで真ん中に一両か2両、二等車という箱があって、うす緑(だったかな?クリーム色だったかな?)色の横線が車体を横切っていた。
我々庶民の乗る三等車より明るく、中に乗っている人が特別な人種のように華やいで見えた。
ましてたまに通る「つばめ」や「はと」など特急の一番後ろの一等車など、眼もくらむような存在だった。お召し列車が通る際は、先生に引率されて線路際に並び、合図とともに日の丸の小旗を振った記憶もある。もちろん顔など見えなかった。
「殿様」とか「上流階級」という人々は、その頃までは厳然かつ顕然と存在していたのである。

日本は二重社会だった。庶民の日本と、金持ちの日本が並立していた。そして金持ちの日本の論理が、日本を戦争へと突き進ませていったのだ。
その後の経済成長の中でこの二重性は覆い隠されていくようになる。三等車が普通車となり二等車はグリーン車となり、庶民にも手の届く贅沢となった。一等車はその思想そのものがなくなった。

土建屋の社長が首相になった。漁協の組合長が首相になった。

それがバブルの崩壊を経て、ふたたび階級社会に移行しつつある。金持ちと大企業は、もはや庶民のことを考えなくなった。まったく違う天上世界がそこには登場し、その世界の論理を日本の論理と考えるようになった。

原発、消費税、TPP、沖縄… どれをとっても、この構造の枠組みで考えるときわめて明快に見えてくる。

この構造を支える政治的ツールとして小選挙区制・二大政党制システムがある。政治の劣化とか制度疲労などといわれるが、このシステムはむしろ強化されていくだろう。

しかし、二重社会構造はそれを支える思想的ツールを持たない、という致命的弱点を内包している。かつての「天皇」に代わるシンボルがない。

だから必ず破綻する、ということは分かるが、破綻したあとにどのような政治世界が登場するのかが、我々にも不分明だ。

当面はフランス、アメリカの動きに注目していくことになるだろう。

たしかつばめは静岡は通過、はとだけ停車したように憶えている、
と思ったらやはりそうだった。
東海道本線・蒸気特急つばめ号の乗車記(1953年4月)         山本信雄
というページで下記の説明がある。

停車駅は京都、米原岐阜、 名古屋、浜松、沼津、横浜、東京。東京終着は17時です。
静岡は通過です。その代わり、昼に出発する「はと」号が、 浜松を通過する代わりに静岡に止まり、沼津を通過する代わりに熱海に止まります。


ウィキペディアより転載