なるほど、と思わせる記事があった。正確に言うと、「なるほど」というより、「そうなんだなぁ…」という感じに近いかもしれない。

岐阜の高校の先生で、松木さんという方の文章である。

生徒たちは誰かを傷つけることを極端に恐れる。友達を大切に思う以上に、危うく保っている人間関係のバランスが崩れることを恐れているようだ。
人間関係が崩れれば、「友達関係」が「いじめ関係」に一瞬のうちに転ずることもある。

そのバランス関係を保つために彼らは必死になって自分に与えられた「キャラ」を演じる。「キャラ」を演じられないものは、空気が読めないといわれ、集団から弾かれる。

高校生の人間関係は大人以上に脆弱で微妙なバランスの上に成り立ち、ひとたびバランスが崩れると、時には信じられないほど残酷になることもある。

これは一言でいうと弱者の処世法だ。弱者の心理を良くうがっている。しかし「過剰適応症候群」が高校生の特質かといわれると、確かに一面ではあるが…

自分の高校生のときは、それだけではなかった。正義感とか、自立心とか、ひっくるめて「適応の拒否」意識がむくむくと頭をもたげていた気がする。

いわゆるパーソナリティーの析出の時代だ。キャラクターと言い換えてもいい。内面的にはこちらの葛藤のほうが強かったのではないか、と記憶している。
高校生の「キャラ」は、自己の内面の発展過程の一表現であり、お笑い芸人の「キャラ」とは似て非なるものとして捉えたほうがよいと思う。