利潤率の低下(草稿集②558ページ)

まずマルクスは利潤というものが剰余価値と同じだということから始める。コインと同じで生産現場から見れば剰余価値、資本の側から見れば利潤だが、正体は同じ十円玉ということだ。

このあと、突如として暴走が始まる。


だから利潤の率は、賃金と原料・生産手段との率により決まる。(賃金の必要労働部分と剰余労働部分の比率が同じとすれば)

だから原料・生産手段が占める部分が大きくなると、利潤の率はそれだけ低下する。(ここでパッとひらめいた!)

例えば製造工場では、機械装置などの固定資本が増大するのに比例して原料も増大する。同じ人数で作業をこなしていけば、剰余価値率は減少するから利潤率も減少する。


このあとは「異文」だらけで、書いては消し、書いては消しの状況が続く。「要するに」と書いて、しばらくすると、また「要するに」が出てくる。

そして興奮きわまった口調で、


これは、あらゆる点で、近代の経済学の最も重要な法則であり、そしてもっとも困難な諸関係を理解するための、最も本質的な法則である。

それは歴史的見地から見て、最も重要な法則である。

それは、その単純さにもかかわらず、これまで決して理解されたことがなく、まして意識的に言い表されたこともない法則である。


と、自画自賛するのだが、こういう「世紀の大発見」はたいていは次の朝になってみたら、どこかに論理の陥穽があって、がっかりするのが落ちだ。

以下の部分は共産党宣言以来の唯物史観・革命史観の再確認。これを利潤率低下の法則に結び付けようということだが…


「固定資本」、すなわち現存する物質的な生産力は、資本主義の発展をもたらす。しかし生産力がある段階まで発展すると、資本関係が労働の生産性の発展にとって制限となる。

そこから先は、生産力は資本の自己増殖をもたらさずに、それを「止揚」することになる。

一方の側では資本という、他方の側では賃労働という、人間の活動の隷属形態が脱ぎ捨てられる。かつて同業組合制度、農奴制、奴隷制が辿った道を資本主義も辿ることになるが、これは最後の隷属形態である。

もろもろの先鋭な矛盾、恐慌などは、社会の生産力の発展が社会の従来の生産関係とますます適合しなくなっていることの表現である。

恐慌は資本の暴力的な破壊であり、資本の自己維持の条件の破壊である。しかもそれは資本の外部の諸関係によってではなく、自らの生産過程の結果として起きる。

このような破壊は、「去って、社会的生産のより高い段階に席を譲れ!」という最も痛烈な忠告である。


この部分は恐ろしく読みにくい文章で、装飾音符をつけすぎて主旋律がわからなくなった音楽のようだ。

まず、メロディーラインを取り出し、装飾音符は別のセンテンスを作って、そこに移植し、とりあえずの思い付きみたいな部分は刈り取ってしまうと、上記のような文章になる。

やはりちょっと論理は荒っぽいようだ。あくまで「草稿」として読むべきだろう。