Ⅳ ラテンアメリカ: リーマンショックからの回復

A 左派政権の成果

6月にペルー大統領選挙の結果を報告した。左派のオジャンタ・ウマラ候補が、右派のフジモリ候補を僅差で破り勝利した。そのとき好景気にもかかわらず左派候補が勝利したのはなぜか。これはオジャンタ・ウマラの勝利というよりは南米諸国連合(UNASUR)の勝利と呼ぶべきだろう。

ペルーでオジャンタ・ウマラの大統領就任式が行われ、UNASUR首脳が会した。首脳会議ではドル危機にたいして強い警戒感が示された。
なかでも南米唯一の親米国となったコロンビアのサントス大統領が、「米国の自体に傍観者であり続けることはできない。反帝国主義でもなく、反米主義でもなく、実際的な結論として」米国の行動は無責任だと発言し、周囲を驚かせた。
コロンビアの態度変更を受けたエクアドルのコレア大統領は、南米独自で資金を融通しあう地域準備基金や、独自通貨で貿易決済を行う地域決済システムの確立などを提案した。

 

国連の中南米・カリブ経済委員会によると、

①失業率は03年の13.4%から10年の7.9%に減少した。減少率は41%ということになる。

②2010年の貧困層は1億7700万人・31.7%、極貧層(必要最低限の栄養が取れない収入)の割合は13.1%となった。貧困・極貧の規定はドル換算で行われているから、現地平価が為替相場で過小評価されている可能性もある。

(これでもひどいが、1990年以降では最低の水準である。1990年には貧困層が48.4%、極貧人口は22.6%だった。貧困人口の数は2002年に過去最大の2億2500万人に達した)

③ジニ係数は過去10年間で9%低下した。(ものすごい低下率だが、これでも南米は世界一所得格差が大きい地域だとされる)相対的貧困率はこれよりも低く、生活実感としての窮乏感は数字以上に改善していると思われる。

 

これがUNASURの実績だとすれば、それに背を向けて対米従属と大企業優遇の経済政策を続けてきたペルーでも、路線転換を求める声が高まることは自然の流れだろう。「失われた10年」と「絶望の10年」がその帰結を赤裸々に開示したのだから、この10年間に相次いで誕生した革新政権は、相当長期間にわたって支持され続けるだろうと思う。
ただしその革新政権も、まだ金持ちの懐に手を突っ込んで正当な税を徴収するところまでは至っていない。それが2008年におけるラテンアメリカの状況だ。

 

B ベネズエラとエクアドルの経済状況

アメリカとベネズエラ、国民が感じる「幸福感」

米ギャラップ社の世論調査で、国民が感じる「幸福感」によって国を順位付ける調査結果を発表。驚いたことにベネズエラが世界第5位に入った。インフレ率が2
7%に達する中で景気が低迷するベネズエラがなぜ?、と多くの人がいぶかしんだようだ。

しかし、人口に占める貧困層の割合が70%から26%にまで減り、大学進学者が倍加するという社会政策の成果があがれば、むだな経済成長はなくとも国民生
活は活気付くことが明らかになったともいえる。

この間の小泉改革の中で、GDP成長と国民生活の乖離が明らかになった。GDPの持続的な成長にもかかわらず、国民生活は貧困化した。GDPは経済成長率
よりも国民搾取率と考えられるようになった。ベネズエラの例は現代社会におけるGDPの持つ意義を逆の方向から明らかにしていると思う。

ベネズエラという国は二重の意味で特殊な国である。
まずは石油で食っている国だという特殊性である。GDPの大半を石油関連が占めてしまうので、それだけでは経済指標にならない。原油価格が半分になればGDPも半分になるのである。
第二に、チャベス体制の下で一種の金融鎖国政策がとられていることである。こういう国ではドルは「闇ドル」として流通するしかないし、輸入産品がえらく高くなることも間違いない。そういう面もふくめて基礎生活レベルで見ていかなければならないのである。

まずはチャベスというより、こういう石油オンリーの国では政府の強い経済介入が必須であることを認識しなければならない。

ベネズエラは30年前の石油ブーム(日本から見ればオイルショック)のときに大々的な設備投資をやって、その借金が貯まり大変な思いをしたことがある。

リーマンショックの後、ほかのラテンアメリカ諸国の景気は回復したのに、ベネズエラだけが立ち直れない、と鬼の首でもとったように言うが、この図を見れば、2010年に強い歳出抑制策をとったのは当たり前の話で、やらないほうがおかしい。

ラテンアメリカ諸国で国民一人当たり所得を見てもあまり意味がない。貧富の差がべらぼうだからである。貧困率が最も正確に庶民の生活水準を規定すると考えるべきである。かつて石油ブームの頃、首都カラカスの下水にはヘネシーが流れているといわれた。

資源輸出国だから、基本的には仕事がない。失業が当たり前である。富を配分し、仕事をつくり、国民全体を豊かにするためには公共投資しかない。したがって政府支出が景気と経済成長をもろに規定する。こういう国と政府をどのように運営すべきだろうか、そういう問いかけを常に自らに課しながら、経済分析をしないと意味がない。

 

C) もうひとつのラテンアメリカ

ラテンアメリカのなかでもアメリカ追随、ネオリベまっしぐらの路線を走っている国がある。それがメキシコだ。
メキシコに関してはメキシコ麻薬戦争 列伝の中で、戦争の真の敵は貧困だと書いたが、今もなお事態は深刻化しつつある。

メキシコの政府機関「全国社会開発政策評価会議」が7月末に発表した報告が赤旗で報道されている。

貧困層(独特の定義で、国際統計との比較はできない)が、5年にわたるカルデロン政権の下で4470万から5770万に増えたとしている。人口比で見ると43%から51%への増加である。
とくに深刻なのは65歳以上の高齢者で、低所得者の割合が77%に達しているということだ。

弱肉強食の論理は社会的弱者により厳しい条件を突きつけることになる。しかしその数字はあまりにも厳しい。国中が姥捨て山になっているということだ。
これでは長生きする意味がないから、みんなギャング団に入って花と散るのだろう。

 

メキシコで農業崩壊の危機

TPPとの関連で必ず引き合いに出されるのがメキシコ農業の荒廃。

NAFTAでアメリカの農産物にすっかりやられて主食であるトウモロコシが自給不可能になった。生き残った農場も手入れが行き届かない状況、そこに過去70年間で最悪の旱魃がやってきた。

北部高原地帯のチワワ州は乾燥した半砂漠地帯ながら、灌漑農業に支えられてメキシコ農業を支えてきた。しかし昨年の降水量は例年の3割以下。主食トウモロコシの生産は320万トンの減少、家畜6万頭が死んだ。

現在でもトウモロコシなど農産物輸入額は210億ドル(約2兆円)であり、今後予想される国際価格の上昇を織り込めば、それが跳ね上がるのは必至だ。

灌漑農業は一端破壊されれば、新たな水源の確保を含め、復興はきわめて困難である。天災は必ず来るが、それを劇症化させるのは人災である。メキシコでまさにそれが表現されているのではないか。